エンターテイメント日誌

2001年09月23日(日) 自主映画上映とミニ・シアターの灯火

1974年、岩波ホールでのサタジット・レイ監督「大樹のうた」の上映からエキプ・ド・シネマ〈フランス語で映画の仲間の意〉は始まった。そしてこのムーブメントは同時にミニシアタ−・ブームの先駆けとなった。

我が郷里、岡山では1978年に岡山映画鑑賞会が発足。土日を利用して1日か2日間だけ三木記念ホールという場所を借りて、名作映画の自主上映会が行われるようになった。僕が初めてこの上映会に行ったのがテクニカラーの名作「赤い靴」。確か第4回例会くらいだったように記憶している。中学生の時のことである。そしてこの岡山映画鑑賞会のおかげで、「第三の男」「大いなる幻影」「未知への飛行」そしてルネ・クレールの「そして誰もいなくなった」等過去の名作や、岩波ホールで上映されたヴィスコンティの「ルードウィヒ」「山猫」ワイダの「約束の土地」ベルイマンの「秋のソナタ」「ファニーとアレクサンデル」等ヨーロッパ映画の傑作群との幸福な出会いをした。
この岡山映画鑑賞会と時を同じくして活動していたのが映像文化交流会である。オリエント美術館の地下等で上映会が行われた。僕はここで「戦艦ポチョムキン」とか、ヒッチコックの「めまい」等に出会った。

やがて僕も成人となり、郷里を離れ2年間広島市内で仕事に就いた。広島には「サロンシネマ1・2」「シネツィン」といったミニ・シアターがあり、活発な活動を行っていて羨ましかった。それらのシアターで出会ったのが「ピアノ・レッスン」「さらば我が愛・覇王別姫」そしてベルトリッチの「1900年」等である。

そうしているうちに、郷里岡山にもミニ・シアターが誕生したという話が伝わってきた。映像文化交流会で活動しておられたある個人が、長年の夢を実現させ映画館を造ったという。シネマ・クレールの誕生である。そして帰郷した際にそこを訪れて観たのが「カストラート」であった。49席の本当に小さな映画館である。しかしそこには温もりがあり、映画への愛が映画館の隅々にまで浸透していた。僕はしみじみ嬉しかった。

岡山に転勤になった3年間はシネマ・クレールに日々通い詰めた。シネマ・クレール最大のヒットとなったのはイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」だろう。映画館は前代未聞の人で溢れかえった。立ち見客でギュウギュウ詰めの中、僕は映画を観た。場内に入ることも出来ず、すごすごと帰っていく人たちもいた。爆発的な盛況のため上映期間は予定よりも遥かに延長された。しかしシネマ・クレールには表に看板を出すお金もなく、財政的に非常に厳しいという噂を聞いた。お隣の倉敷市に出来たシネマ・コンプレックスも映画館の存続を脅かすものになるかも知れないという話である。

そして僕は今、四国に住んでいる。四国にも自主上映活動を地道に行っているグループがあるにはあるのだが、細々としたものだ。観客も少なくて何処か寂しい。そんな中、驚きべきニュースを耳にした。なんとシネマ・クレールの2号館が出来たという。財政難というあの噂は何処へ!?大丈夫なのだろうか・・・。

早速、JRに飛び乗って訪れたのは言うまでもない(笑)。観た作品はベトナム映画「夏至」とスペイン映画「蝶の舌」である。吃驚したのは映画館の広さである。ざっと数えても100席以上は確実にある。真っ赤なシートも豪華で座り心地が良い。採算はとれるのだろうかと要らぬ心配がないではないが、是非頑張って欲しい。ミニ・シアターの灯火を消さないで欲しい。シネマ・クレールの未来に幸あれと今はただ、願うばかりである。

追伸:「シネマ・クレール」のオフィシャル・ホームページはこちらです。
http://www.cinemaclair.co.jp/
「岡山映画鑑賞会」オフィシャル・ホームページ
http://ww9.tiki.ne.jp/~hirosan_home/
「岩波ホール」オフィシャル・ホームページ
http://www.iwanami-hall.com/

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