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張り合う気持ち、受容、変化。(前編)

仕事とか収入とか家柄とか家庭環境とか。
人は、様々な事に関してどちらが上か下かを決めたがる。
自分が相手より上だと分かるとホッとして、その逆だと焦る。

私には上昇志向がない。
出世したいとか、お金持ちになりたいとか。
そりゃあ、貧乏よりはお金があった方がいいよなぁと思うことはあるけど、
だからと言って、身を粉にして働いたり他人を蹴落としてやろうとか、
そういう社会の競争には、とんと縁のない人間だ。
だから今、こんなにちゃらんぽらんな生活を送っているのだろう。

大体、自分が幸せになるという事に関して他人に基準を置いていない。
誰かの幸せが、そのまま別の誰かの幸せと一致するとも思っていない。

自分が今幸せかという事を考える時、その基準は自分自身の中にある。
自分が幸せなのか、いい仕事を出来ているのか、楽しく過ごせているのか。

例えばメディアが、
『夫の年収1000万円以上で、都心にマイホームを持ち、
子供は2人いて私立の学校に通っている。
妻は習い事をして趣味を楽しみ、月に1回はホームパーティー。
こんな家庭を『幸せな家庭』と呼ぶ。』
なんて書いていたとする。

人の心というのは弱いもので、『これが絵に描いたような幸せだ!!』
とバーンと突きつけられてしまうと、ついそれを信じてしまう。
そして、この条件を満たしていない事に対して焦りを覚える。
必死になってこの幸せの図を自分の家庭にも作り上げようとする。
収入の少ない夫にイライラしたり、自分の思うようにならない子供に腹を立てたり、
毎日忙しく余裕のない生活を送っている自分自身に嫌気が差してしまったり。
基準を自分の外に置くと、それに振り回され現実が見えなくなってしまうものだ。
こんなメディアの文章を読む前までは、
平穏でそれなりに幸せに過ごせていたのかもしれないのに


私もいわゆる『世間一般』というものに振り回されそうな時が確かにある。
この歳で子供もいないなんてとか、貯金もなくて貧乏とか。
これでいいのかなぁと心配になったりする。
普通はOLの頃から貯金して、20代で結婚して子供を産んで、
30代で家を買って・・・。
そういうラインから完全に脱線している自分。大丈夫なのだろうか、と。

でも今それを考えたって、もう20代には戻れない。
第一、もし万が一戻れたとしてもきっと、
私はこんなモデルケースとは違う生き方をしているだろう。
だってそれが私なのだから。
その時その時の自分と相談して、出した結論を元に生きてきたんだから。
あの時ああしていればよかったなんて考えてもしょうがない。
あの時の私は、ああ選択するしかなかったんだ。
過去の自分、自分なりに一生懸命やってきた私を否定するのは止めよう。
そう思えてきた頃から、少しずつ生きるのが楽になった。


友人の職場での話を聞いた。その友人は、電話受付の仕事をしている。
顧客の問い合わせに答える仕事。
売り上げのノルマとか、アポを取るとかいう事はない。
必要なのは、しっかりした知識を持って、顧客の質問に的確に答える事だ。
かなり専門的な知識も要求される。

そういった仕事での喜びや充実感の感じ方について、
社員のタイプがけっこうはっきりと分かれるらしい。
友人は、『顧客とのコミュニケーションがうまく取れた。』とか、
『必要としている情報をちゃんと与えられて、顧客が満足してくれた。』
と感じた時に、喜びや充実感を感じるという。

ところがまた別のタイプの人は、
『短時間で必要な情報を提供できた。』とか、
『1日に、何本電話をさばくことが出来たか。』
という事に喜びや達成感を感じているらしい。

前者の喜びは、心では感じるが目には見えないもの。
後者の喜びは、目に見える形で、他人からの評価も受けやすいもの。
両者には大きな違いがあるように思える。

後者のような人でも、本当に心からノルマ達成が嬉しくて、
それを楽しみながら出来ている人なら、
それはその人なりの楽しみ方なんだから良いと思う。
きっと、そういう人がノルマ達成をして喜んでいる姿は、
傍から見ていても、気持ちの良いものに違いない。

ところが、友人いわく、そして私もそう感じるのだが、
後者のタイプの人には、余裕のない人が多い。
ノルマを達成しても、満足感を感じているようには見えない。
いつも不安で、焦っているように見える。
いくらノルマを達成しても、その事で周囲から認められようとも、
その人は安心感を得る事は出来ない。
一つの目標を達成したら、もう次の目標を探して、
またそれに向かってひたすら突っ走っていくだけ。
見ていてとても辛い光景だ。

自分が満足をしたと心から思えていないから。
自分の幸せが何かを感じられていないから。
だからいくら他者からほめられても、不安なまま。
これでいいのか分からなくて、どこまでやればいいのか分からなくて、
いつも何かを渇望している、カツカツ生きている。
そしてある時燃え尽きて、身体を壊してから気付く。
自分がどれだけ無理をしていたかを。
心と身体に鞭打って、働いてきたかを。

・・・後編へ続く・・・
2004年11月02日(火)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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