1人で戦う。でも1人じゃない。 |
パニック障害の発作が起きた時。
その真っ只中にいる時、 話し掛けられたり、心配されたり。 こうしたら良くなるんじゃないかとアドバイスを受けたり。 それはとてもありがたい事だけど、実はかえって辛い。
発作が起きている時には、しゃべる事は出来ない。 息をするのも苦しい。苦しいから呼吸する。過呼吸になる。 話し掛けられても、答えるのは無理。 しゃべろうとすると、余計にひどくなる事もある。
横になってみたらとか、飲み物を飲んでみたらとか。 音楽を聞いて気を紛らわせてみたらとか、 しゃべってたら気分が変わるかもしれないとか。 そういう事を言われても、その通りには出来ない。 自分が『これなら大丈夫かも。』と思えること意外は受け入れられない。
発作の最中は、頭の中に不安感が渦を巻いている。 その渦の中に巻き込まれまいと、必死で戦っている。 今にも死んでしまいそうな、どうにかなってしまいそうな気持ち。
薬を飲んでも、病院へ行っても、点滴をしても、 何をやっても治らないんじゃないかと思えてくる。 この先どうなってしまうんだろうという恐怖感も襲う。 とても疲れて、だるくて、気力が奪われ、 生きていく事がかったるく、うんざりとした気分になる。
不安の波を、なんとかやりすごそうと必死なこの時、 何も言わず、何も聞かず、ただ放っておいてもらいたい。 でも、1人っきりでは耐えられない。 だから、側にいて欲しい。
10年位前、2泊3日の旅行の1日目に発作を起こした。 それから旅行の間ずっと、発作続いていた。 当時は病院にも行っておらず、薬も持っていなかった。 帰りの新幹線の中で、発作はピークになってしまった。
怖くて苦しくて仕方がない。 でもしゃべる事は出来ない。でも黙っているのも辛い。 私は旦那(当時は彼)に頼んだ。 『返事は出来ないけど、何かしゃべってて欲しい。』 旦那は、私の負担にならないようなたわいもない話をずーっとしてくれていた。
この時の旦那は、話し相手ではなかった。 私は、ラジオや音楽のような役割を旦那に求めた。 ほんとに申し訳なかったな〜と思うけど、 その時はそうしてもらう事が、一番のヘルプだった。 PDになった事のない人にとっては、きっと理解しがたい要求だったろう。 何のために?これが何になるの?と。 でも詳しい事は何も聞かず、 そんな頼みを引き受けてくれた旦那に感謝している。
何とか家までたどり着いて、それまでは家に帰ればほっとして治っていたけど、 その時は発作がひどく、継続時間も長かったのですぐには復活できなかった。
発作との戦いは、とても孤独。結局は自分との戦いになる。 でもその辛い戦いを続けられるのも、側にいてくれる人がいるから。 その存在はとても大きい。 何もしてくれなくてもいい、ただ見守ってくれていればいい。
だから、1人であって1人じゃない。 孤独じゃないから、孤独な戦いを続けられる。 矛盾しているように思えるけど、そういうことだと思う。
|
2004年11月01日(月)
|
|