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自分の中の『負』の感情。

目の前にある他人の幸せに、涙が出てくることがある。

ファミレスでの食事。祖父母、息子夫婦、孫2人。
ダダをこねる孫を皆でなだめ、和気あいあいの雰囲気。
どうやら、息子夫婦が家を買うという話をしているらしい。
きっと、頭金でも出してもらうのだろう。
典型的な、幸せそうなファミリー。

ふと『自分には何もないのだ。』という感情が襲う。
健康な身体、子供、お金、家、希望?
いや、希望はまだ捨ててはいない。

親は歳を取らないような気がしていたけど、そんなことは有り得ない。
私の両親も旦那の両親も、確実に老けてきているのだ。
孫を囲んだこんな幸せな風景を、味あわせてあげる事が出来るんだろうか。

そして悲しみは、ファミレスで出会った家族へのねたみへと変化していく。
彼らのあら捜しをする。
子供がうるさい、親の態度が悪い・・・。
しかしそれは、むなしいだけのただの八つ当たりに過ぎない。

その幸せを当たり前に手に入れ、当たり前だと思って暮らしているように見える。
その当たり前が手に入らない人もいるというのに。
自分の状況を、ありがたいと思ってる?

この家族のバックグラウンドなど私には分からない。
私の知らない、様々な葛藤があるのかもしれない。
しかし、そんな事は私には知る由もない。

ただ、今自分が目にしている他人の幸せをうらやんでねたんでいるだけ。
そして、そんな感情からは何も得るものはないと分かっている。
いや、この『負(ふ)』の感情を感じ切る事で、何かを越えられるかもしれない。

本当に『私には何もない。』のだろうか。
そうじゃないことは、すでに自分が一番分かっているはずなのに。
でも、悲しい時は悲しいんだ。
それでいいんだ。
2004年07月05日(月)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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