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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2004年02月25日(水) --

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☆映画・オブ・ザ・リング『王の帰還』(その一)

壮大なる三部作、ついに完結。 映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』。 見て来ましたよ、朝一番で。 映画館を出る頃には連れ共々へろへろになっていました。 衝撃の第一作目『ロード・オブ・ザ・リング』(旅の仲間)から、 もう二年も経ったのですね。 →☆映画・オブ・ザ・リング

「‥‥毎回言ってるけど、ここまで集中力の要る映画ってないよ」 「原作では何十ページにもわたっている描写を、 映画では1カットに凝縮して見せたりしてますからね」 原作を読んでない連れは映像から必死で膨大な情報を読み取り、 原作を呼んでいる私は文章と映像の表現を比較しながら見ていますから、 どちらも滅茶苦茶に疲れます。 「普通だったらもっと気が抜けるような、どーでもいい場面とかあるでしょ?」 「なにしろ原作の量が量なので。ピピンが子供と友達になる場面とか、 秘かに還って来た王がハーブで病人を治す場面とか、 和むところは全部カットでしたね」 「我ながらこんな体力のいる映画、三作通してよく見たもんだ」 「スタッフもこんな労力のいる映画、三作通してよく作ってくれました」 一度でも指輪を手にしたものは、 生涯指輪の魔力から逃れる事はできない。 私達のような読者も、満員の観客も、映画制作者達もみんな、 一つの指輪をその手のひらに眺めて魅入られてしまった、 哀れにして幸福な仲間達です。

文章で表現された世界を視覚表現に置き換える場合は、 一般の読者が一人で想像するイメージを更に超える映像を 作って見せれば、批判はそれほど出ないでしょう。 ただ、文章そのものの美しさというものは、 映像に変換する事は出来ません。 ピーター・ジャクソン監督の原作テキストそのものに寄せる愛情は、 映画『王の帰還』の中の小さな場面に潜んでいました。 映画の中盤で登場人物によって語られたある台詞は、 本来は『指輪物語』のラストシーンに書かれた、ほんの数行の、 けれど極めて印象深い文章でした。 この短く美しい文章は映画の中で、映像にはされないで、 文章のまま、言葉で語られたのです。 「え?だってあの場面でガンダルフが言ってたのは 『その場所』の事じゃなかったよ、あれは」 同じなんですよ。 少なくとも監督はそう解釈したのだし、私もそういう意味だと思います。

台詞と言えば、小説の中ではそれぞれの人物の状況立場心情を 事細かに地の文で説明した上で長々とかわされる会話を、 制限された映画の上映時間の中で再現する事は出来ません。 原作の中から百分の一の台詞を選びだすか、 意訳的な短い台詞を作って説明するか。 例えば、映画の中でひっかかったのが、ローハンの姫君が言われた一言。 あれ?アラゴルン、こんな事言ったっけ? 家で原作を探してみました。 ちゃんと、ありました。 でも、姫に直接言った台詞じゃなくて、 姫の兄にこっそり語ったホンネというか。 「えーっなにそれ、どういう意味よ!」 と、姫に代わって思った方は、原作本をどうぞ。

「ねえ、映画でわかんなかった所も本には全部書いてあるの?」 「ほとんどは」 「それじゃあさあ、あれどうなったのあれ、」

とにもかくにも、旅はようやく終わりを告げたのです。 誰もが恐れ、誰もが欲する重荷を背負い、 半世紀前に書かれた小説『指輪物語』に忠誠の全てを傾け、 辛く苦しい道のりを乗り越えた映画『ロード・オブ・ザ・リング』 製作スタッフの並々ならぬ勲は、永く讃えられるであろう。 その二に続く。(ナルシア)


・『新版指輪物語』全7巻  
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
・『新版指輪物語』文庫 全10巻(「王の帰還」上・下)
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二 ・田中明子 / 出版社:評論社

・映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』
監督・脚本:ピーター・ジャクソン/提供:日本ヘラルド映画、松竹

2003年02月25日(火) 『末枯れの花守り』
2002年02月25日(月) 『スター☆ガール』

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