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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2003年08月18日(月) --

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『ゴーメンガースト三部作』

その本はどこか異様な重さを漂わせていた。 食卓では、父は専用の丸い銅の文鎮と長い銀の文鎮二つを組み合わせて ページを固定し、空いた両手で煙管に莨を詰め、 昼食のフォークを使いながら本を読む。 斜め隣の私の位置からは、固定が難儀な程の分厚い文庫本の中に、 ちらちらとひどく陰気なペン画の人物スケッチが眺められた。 父が卓を離れると、私は栞代わりに挟まれた銀の文鎮ごと、 暗い石の色をした表紙の小さな分厚い本を取り上げ、ざっとめくってみた。 長々ともってまわった重苦しい文章、古臭い舞台、わざわざ原語の意味を 説明された馬鹿馬鹿しい名の登場人物達、気味悪い人物イラスト、 鬼面人を驚かすような虚仮威しのタイトル。 なあんだ、宇宙のお話でもないし、探偵小説でもないんだ。長いし。 当時、父の所有するSFや本格推理小説、恐怖小説の短編集を隠れて かたっぱしから読んでいた私は失望して、 銀の文鎮と暗い石の色の本を父の煙草盆の隣の位置に戻した。

私は誤っていた。それは一つの宇宙の物語であり、 稀に見る知能的犯罪との戦いの物語であった。 執拗なまでに克明な場面描写は子供にとっては退屈で、 冷笑的に戯画化された人物描写は子供にとっては不快と思えただろう。 けれど長い歳月を越えて再びかの本を手にした私は、今ここに確信する。 我が血はかの比類なき城に棲む者達の血。 私は私と同じ血を持つ者達に声高く伝えなければならない。 孤独を愛し、書を愛し、廃虚と闇と嵐と惨劇を美しいと感じる者。 汝等の探し求める地はここにある。 急ぎ集え、永遠にしてその名も高き偉大なる 「ゴーメンガースト」の城へ。

英国ファンタジイ史上希代の傑作として、 『指輪物語』と並び称せられながら 日本では語られる事の少なかった『ゴーメンガースト三部作』。 一部の熱狂的な読者には支持されるものの、陰鬱で閉鎖的で大仰な その作風がいわゆる明快な「冒険ファンタジー」好みの日本人には あまりアピールしないらしいと言われてきました。 しかし、「冒険ファンタジー」好みには受けないかもしれませんが、 「日本人」の中にはこの陰鬱で閉鎖的で大仰で実はユーモラスな作風が ぴたりとはまる層が存在するように思います。 ただ、現在「ファンタジー」と言えばたいていは 指輪バリエーションのクエストものやハリー・ポッターのような 魔法パワー対決を示す事が多くなっているので、 「ファンタジー?趣味じゃないから」と言ったような一種の勘違いから、 しかるべき層に『ゴーメンガースト』が認知されないままになっているのではないでしょうか。

ゴーメンガーストは架空の世界ですが、魔法使いや妖精のような超常的な 存在は登場せず、出来事は全て合理的に起こっています。 極端にカリカチュアライズされているように見える登場人物達は、 その奥に優れてリアルな魂を隠し持っており、論理的で、 それぞれ方向性の異なった情熱を持っています。 そしてなにより細密に書き込まれた場面場面の光景が、全て彩色版画にして 家宝にしてしまいたいほど、陰鬱で、豪奢で、途方も無くて、美しい。 文字で描かれた素晴らしい画集のようでもあります。 『ゴーメンガースト』は世界最大にして比類無く豊かな、 「館ミステリ」と言ってしまえなくもありません。 私は、かつて「新本格」と名付けられた架空的ゴシック風ミステリの愛読者達をこの城に招待致しましょう。 あるいはまた、シェイクスピアでは幻想劇よりも『ハムレット』や 『リチャード三世』等の陰残な王宮陰謀劇が好みの皆様。 幾人かの方には、まさにこれこそ自分の望んでいた雰囲気、と御満足頂ける事と思います。

無論、全ての方に門が開かれる訳ではありません。 この書を読まれた者が、自身の中の旧きゴーメンガーストの血に気付くか否か、 蜘蛛の巣だらけの古錆びた石造りの迷宮の中へ、 歓喜と憧憬を持って身を投げ出せるか否かは、 実際に読み進んでいただくまでは判りません。 我が父が折々その身をゴーメンガーストに置く事を知っていた私ですら、 自らもその血を継いでいる事に気付くのに、 これほどの歳月がかかってしまったのですから。 (ナルシア)


ゴーメンガースト三部作『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

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