HOME*お天気猫や > 夢の図書館本館 > 夢の図書館新館

夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年08月22日(木) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『幻の女』

 

夜は若く、彼も若かった。  
夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。(引用)

都会の憂愁に満ちたサスペンスの巨匠、 ウィリアム・アイリッシュの代表作品『幻の女』、 コーネル・ウールリッチ名義の『黒衣の花嫁』『黒衣のランデブー』等 現代のサスペンス・ミステリの原点となる古典を、 何を思ってか私は、小学生の時に読みました。 これは他のミステリのように父の蔵書を読んだわけではなくて、 正々堂々と小学校の図書館で、棚に揃えてあったのを読んだのです。

「え?アイリッシュの児童向け?うそだ〜」 本当にあったんですってば。 私がクイーンにはまった「あかね書房 少年少女世界推理文学全集」に アイリッシュの『黒いカーテン』と『消えた花嫁』が載っていて、 それをきっかけに、別に揃っていたアイリッシュの児童向けシリーズ (春陽堂少年少女文庫?)も読んだのでしょう。 同時期に読んだダシール・ハメットの『マルタの鷹』児童向け(爆)は ほとんど大人の意図が理解出来ずに意味不明でしたが、 アイリッシュのサスペンスは子供でもドキドキハラハラしながら 人工の光と影の交錯する都会の夜を彷徨う事ができました。

ストーリーも犯人も分かっているミステリを、それが本当の形とはいえ 再び読んで面白いものかどうか疑問ではありましたが、 大型古本屋さんの普及のおかげで少なくとも出費は少なくて済みます。 『幻の女』と言ったらあのオレンジ色の帽子のひとですよね。 ショウのスターと帽子をめぐって無言の張り合いをする場面とか (ペン画の挿し絵も憶えている) 証人探しをする主人公の協力者が、オレンジ色の電気スタンドのシェードを かぶって見せるシーンとか、あの帽子が関わる場面は鮮明に覚えています。

40年代のニューヨーク、不機嫌な主人公はある夜風変わりなデートをします。 バーで一杯、タクシーに乗って気のきいたレストランでディナー、 評判のショウを見て、最期にまた最初のバーで一杯飲んで、さようなら。 デートコースは何も変哲もないのですが、風変わりなのは デートの相手が見ず知らずの名前も知らない女性。 もう一度会おうと思っても、顔も髪も思い出せない、 手掛かり一つないPHANTOM LADY。 都会の雑踏の中で、彼女の事を憶えている者は誰一人いない。 でも彼女を探し出さなければ、主人公は無実の罪で処刑される。 各章の題は死刑が執行されるまでの残り日数です。

あらゆる手を尽してたどり着いた証人達は、ことごとく 捜索者達の手をすり抜けて物言わぬ証人と化してゆく。 印象的なモノクロフィルムのような都会に、 鮮やかなオレンジ色の帽子だけがくっきりと浮かび上がる。 重要な証人である女性の特徴を、主人公は 「オレンジ色の帽子」でしか覚えていませんでした。 それじゃあ、何十年も前に読んだっきりの私と同じじゃないですか。

逆に言えば、一晩で忘れられた女性は何十年たっても忘れられない印象を 小学生の私にも与えていた訳ですね。 ムードは大人っぽいですが、骨格のはっきりしたサスペンスなので、 たとえ骨だけにしても面白い、と子供向けシリーズを出した 企画者の愛着がよく分ります。

とはいえ、犯人とストーリーが分かっていても、 都会の華やぎや主人公の絶望、真相を追う者達の遭遇する危機、犯行の動機などは 当然な事ながら大人になって読むほうがはるかに鮮明に身に迫ります。 そして当時のニューヨークのイメージも意外に若々しく清潔で、 現代程危険で退廃的な印象ではありません。 そういえば、六十代のアメリカ人女性が、彼女が十代のころのニューヨークは 治安も良くて綺麗な街だった、と言っていたっけ。

街は若く、彼女も若かった。(ナルシア)


『幻の女』 著者:ウイリアム・アイリッシュ / 訳:稲葉明雄 / 出版社:早川書房

2001年08月22日(水) 『黒と茶の幻想』

>> 前の本蔵書一覧 (TOP Page)次の本 <<


ご感想をどうぞ。



Myエンピツ追加

管理者:お天気猫や
お天気猫や
夢図書[ブックトーク] メルマガ[Tea Rose Cafe] 季節[ハロウィーン] [クリスマス]

Copyright (C) otenkinekoya 1998-2006 All rights reserved.