昨日は風が強かった。 台風並みに吹いたらしい。 それに黄砂が混じっていたのか、車のフロントガラスがけっこう汚れていた。 そういえば、最近外を歩いていると、口の中がザラザラすることがあるが、きっとそれは黄砂のせいだろう。 しかし、今年は昨年ほど酷くはないようだ。 昨年は、晴れていても太陽がぼんやりしていることが多かったが、今年はそれがない。
ところで、昨日の夕方、不意に野生の勘というのが働いた。 風が止むのがわかったのだ。 まだ風はビュービューと音を立てて吹きまくっていたのだが、空を見た時に「あ、これで風が止む」という予感がした。 その予感通りに、風はほどなく収まった。 その後も風は吹いたものの、残り風に過ぎず、もう突風は吹かなかった。
野生の勘というのは、昔からよく感じていた。 例えば学生時代、よく「この先に行くと危ない」という殺気のようなものを感じていたものだ。 そこで行くのをやめていれば何と言うことはないのだが、けっこうそういう時というのは、そこに行かなければならないことが多い。 しかたなく「いや、きっと考えすぎだ」と自分に言い聞かせながら行ってみると、そこにガラの悪い他校の生徒がたむろしていて、因縁をつけられた、という経験が何度かある。
これも学生時代の話だが、ぼくはよく時計を忘れて学校に行ったものだ。 通学時バスに乗っている時や、学校に着いてからいつも気づいていた。 帰りのバスの時間を見る時に、時計がないとすごく不便なのだ。 ところが、そういう時に限って体内時計が働いた。 例えば授業中、突然頭の中に「○時○分」というのが見えてくる。 そこで隣の席の人に、「今、○時○分やろ?」と訊いてみると、ピタリと合っていた。 おかげで帰りのバスにも、乗り遅れたことはない。
こういう勘は年とともに薄れていくものであるが、ぼくの場合、今でも時々働く。 「ここが人生の節目だ」という時に、そういうことが多い。 最初の会社を辞めた時がそうだった。 突然「ここでの仕事は終わった」というような勘が働いたのだ。 そしてその後、自ずと辞める方向に流れて行った。
この間辞めた時もそうだった。 あの時は、ラジオで『はっぴーえんど』の歌を聴いていた時に、突然、会社を辞めて次のステージに移るような気がしたのだ。 その勘が働いてから後、だんだん居場所がなくなっていき、結局半年後に辞めたわけだ。
もしかしたら昨日の勘は、節目が来ているというお知らせかもしれない。 「人生の風が止む」という暗示だったら嬉しいけどね。
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