(1) この頃、マンガが映画化やドラマ化にされることが多い。 今やっているドラマでいえば『のだめカンタービレ』や『鉄板少女アカネ!!』 などがそうだし、ちょっと前では『花より男子』がそうだった。 こういうドラマは話の展開がいかにもマンガチックではあるが、かつての実写版と呼ばれた映画やドラマほどは荒唐無稽でなくなっている。
とはいえ、元がマンガだと知っているものだからから、どうしてもそれと比較してしまい、結局は「原作のほうがよかった」というふうになってしまう。 ということは、元がマンガだと知らずにその映画やドラマを見たとしたら、つまり先入観を持たずに見たとしたら、案外新鮮みがあって面白いかもしれない。
(2) 今日、スカパー!で『ガラスの脳』という映画をやっていた。 他に見るものがなかったので、しかたなくそれを見ていたのだが、これがけっこういい映画だった。 最近は日本映画が全盛だと言われているが、なるほどこういう映画をやっているのだからそう言われてもおかしくはない。 などと納得しながらその映画を見ているうちに、おかしなことに気づいた。 なぜかぼくは、この話の展開を知っているのだ。
その映画を見るのは初めてである。 ということは、かつて原作を読んでいるということだ。 しかし、いつどこで読んだのかという記憶が定かではない。 では、その原作が誰のものであるかというと、それも思い出せない。 ただ、それは小説ではない。 ということはマンガだ。
ぼくが読んだ範囲でこういう生命・病気・愛をテーマにしたマンガを描くマンガ家は、一人しかいない。 手塚治虫である。 そこで、新聞の束の中に埋もれていたスカパー!の本を引っぱり出し、原作者を調べてみた。 やはりそうだった。 だとすれば、原作は家にあるということだ。 と、探してみると、あった、あった。 これには感動した。
いい作品というのは、マンガだとか映画だとかいう枠に収まらないものなのだ。 いかにもマンガチックという作品も楽しいが、やはりぼくは枠に収まらない作品のほうが好きである。
(3) これはマンガではないが、美空ひばりの大ヒット曲に『柔』という歌がある。 実はこれ、同名のドラマの主題歌として作られたものだったのだ。 現在はそうではないが、当時はドラマの主題歌などは、歌としてのランクが低く見向きもされなかった。 ところが、『柔』はそうではなかった。 作品のスケールが大きすぎて、ドラマのテーマソングという枠に収まらなかったのだ。 その結果が、その年のレコード大賞だった。
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