| 2006年08月29日(火) |
焼きめしとチャーハン |
小学生の夏休み、昼飯というといつも焼きめしだった。 母が働きに出ていたので、作ってくれるのは叔母だった。 全体の色が変わるぐらいにウィスターソースをぶっかけて、汗を流しながら食べていたものだ。 その際に飲むのは水か麦茶と決めていた。 味が濃いので、熱いお茶を受け付けなかったのだ。
時は流れて20歳の頃、つまり東京時代。 横須賀の親戚に遊びに行った時、叔父からチャーハンを作ってもらったことがある。 味はまろやかで、それでいてコクがある。 添えてあった福神漬けの味とも調和していた。 まず、そのへんの中華料理店には負けてなかっただろう。
さて、この叔父と叔母は実の兄妹なのだが、二人の作ったものはまったく違っていた。 一番大きな違いは、玉子の有無である。 叔父が作ってくれたチャーハンは玉子がベースになっていた。 ところが、叔母が作った焼きめしには、玉子など入っていたことがない。 油でそのまま炒めていたのだ。
もう一つの違いを上げるとしたら、グリーンピースの有無である。 叔父の作ってくれたチャーハンには、ご丁寧にグリーンピースまで入っていたのだ。 一方の叔母の作った焼きめしは、基本的な野菜が入っているだけだった。
だが、その二つ、どちらがおいしかったのかというと、叔母のほうだ。 叔父のチャーハンは実に行き届いていた。 タマネギの切り方ひとつにもこだわりがあったようだし、盛りつけ方もきれいにまとまっていた。 一方、叔母の焼きめしはすべてが大雑把だった。 具を適当に刻んでぶち込んだような感があり、盛りつけ方も決してうまいとは言えなかった。 味はというと、どちらもそれなりの味をしていたように思う。 だが、ぼくはあえて叔母の焼きめしに軍配を上げる。
理由は二つある。 ひとつは、好き嫌いの問題である。 いや、別に叔父と叔母の好き嫌いではない。 何かというと、グリーンピースである。 ぼくはグリーンピースが全くダメなのだ。 あれが乗っているというだけで、おいしさが半減してしまう。 それだけ選って食べるというのも面倒な作業だし。 とにかくこれだけでも、10点は減点になる。
もう一つは、醍醐味である。 チャーハンというと、何かお体裁ぶっているような感じがするのだ。 中華料理屋に行ってチャーハンを注文すると、お焦げなどはあまりなく、さらにきれいに盛って出てくるから見た目もきれいだ。 しかし、ご飯はお焦げがおいしいのだ。 それがもしまずいとすれば、例えばお焦げが出来る炊飯ジャーなどは出来なかっただろうし、焼きおにぎりが売れることはなかっただろう。 また、見た目がきれいだと、ウィスターソースをぶっかけるのも気が引けるではないか。
一方の焼きめしは、実に野性的である。 ソースをぶっかけたり、生卵をや半熟目玉などを乗せてグチャグチャにかき混ぜたりしてもかまわない。 いや、そうすることでおいしさが増すのだから、これはもうやらざるを得ない。
かつて、うちの近くのデパートの食堂街のある店に、「男の焼きめし」というメニューがあった。 その名前を見ただけで野性味を感じ、おいしさを予感したものだ。 さっそく注文し食べてみるとこれが絶品で、仕事さえなければ毎日でも食べに来たいと思ったほどだった。
ところが、この間そこに行ってみると、確かに「焼きめし」はあったが、肝心の「男」が抜けていた。 性別不問にしたせいか、「チャーハン」に近いものが出てきた。 しかし野性味を感じなくなったせいなのか、味は落ちていていた。
今、町の食堂などに行くと、大多数の店のメニューには「チャーハン」とか「炒飯」とか書いてある。 一方、「焼きめし」と書いてあるところは実に少ない。 それが寂しい。
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