今日も昼から雨で、降り出してから一気に秋になったように涼しくなった。 雨が降り込んでくるので、家の窓を全部閉めたのだが、まったく暑くなく、息苦しさも感じなかった。
ところで、俳句の歳時記で「夜の秋」というのがあるが、ちょうどこの時期の季語だ。 ぼくが昔作った詩に、『時の雨』というのがある。
雲深き 夜の秋 月隠れ 時の雨 過ぎし人 傘もなし
旅日記 日々は濡れ 時はもつれ 時の雨 懐かしき 想い消え
風は濡れ 夜に冷たく 時の雨 火もつかぬ
虫は鳴き 夜に冷たく 時の雨 咳はやまぬ
実も触れず 枝は枯れ 立ち止まる 時の雨 遠き夢 闇に枯れ
これを書いたのは19歳になる年のちょうどこの時期で、やはり今日みたいな天気の日だった。 ここでいう「時の雨」というのは、時雨のことではなく、通り雨という意味で使った。 当初「瞬時(とき)の雨」としていたのだが、いちいち「瞬」を書くのが面倒だし、そう読ませるのも苦労するだろうから、「時の雨」に改めたのだ。
これを書いた日も今日と同じく面白くない日で、気分がクシャクシャしていた。 その面白くない気持ちのままに、当時日課にしていた日記を書いたのだが、支離滅裂な内容になってしまった。 そこで、グチャグチャに塗りつぶしたというわけだ。
いったい何が面白くなかったのかというと、それは勉強である。 何度も言っているが、その当時ぼくは予備校に通っていた。 その日、お盆明けの模試の結果が出たのだ。 結果は最悪だった。
そういうわけで、その日は何をやっても面白くなかった。 しかし、翌日になれば気は晴れるだろうと思っていた。 が、そうではなかった。 その翌日も翌々日も「面白くない」は続いたのだ。 そして面白くないまま時が過ぎ、いつの間にか「面白くない」は将来に対する不安に変わっていった。 結局ぼくはその不安から抜け出すことをしなかった。 それどころか、逆に受け入れてしまったのだ。 そのせいで、本格的に長い浪人生活が始まったというわけだ。
ぼくの書いた詩は、将来を暗示したようなものがけっこうあるのだが、そういう視点で読んでみると、この詩もそのような気がしてくる。 もしそうであれば、仮にあの日ハッピーな詩を書いていたら、その通りになったのかもしれない。 それを思うと残念な気がする。
ところで、今日は何で面白くなかったのかというと、ホークスが宿敵ライオンズに負けたからである。 これでまた2ゲーム差だ。 日ハムも0.5差で迫ってきているし、いったいこの先どうなるんだろうか。 …ホント面白くない!
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