| 2006年06月18日(日) |
苦難の法則を発見する |
最近、占いの本を読むことが多くなった。 将来どうなるかとか、常々音楽関係に進みたいなどと言っているが、実際それは天職なのだろうか、などといったことを調べるためだ。 50歳を前にして、今さら何を言っているんだと思われるかもしれないが、今が人生最大の転機だと思っているから、そういう本で自分を確かめたかったのだ。
そのため、読んでいる本は、手相だとか星占いといった一般的なものではなく、深く運命や宿命がわかると言われている四柱推命である。 その四柱推命というのは、生年月日時で運命を割り出す、いわゆる運命学というもので、昔から歴史上の人物が人生の指針として用いていた。 例えば三国志の諸葛孔明は、この四柱推命で敵将の性格から運勢まで徹底的に調べあげた上で、戦に臨んだと言われている。 ちなみに「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という離れ業をやることができたのは、この四柱推命で自分の死期を把握していたからこそできた戦術である。
さて、そうやって、将来のことや天職を調べていくうちに、ぼくは一つのことを調べてみたくなった。 それは、これまで何度か苦難を味わっているが、もしかしたらそこには何かの法則があるのではないか、ということである。 かつて天中殺という言葉が流行ったことがあるが、あの時ぼくは自分の天中殺を調べたことがある。 しかし、ぼくにとっての天中殺の年(午年と未年)は、何も悪いことはなかった。 どちらかというと、楽しい思い出ばかりが残っている。 それで、ぼくは天中殺というのを信じなくなった。
天中殺とは違うのもので、何かないだろうか? そこで、ぼくは自分の悪かった年の年表を書いてみることにした。 すると、簡単に共通点があるのがわかった。 それは、悪い年は決まって西暦の一桁目が7になっているということだ。
例えば、ぼくの人生において最大の苦難の年だったのが、1977年である。 その10年後、つまり1987年にぼくは左遷の憂き目に遭っている。 この二つの年ことは、このブログにも書いているのだが、その10年後の1997年は、ここにも書けないような人生最大の屈辱を味わったのだ。 遡って1967年はというと、6年間の小学校生活の中で一番面白くない年だった。
つまりこの7の年は、ぼくにとっての厄年だということだ。 ということは、そこをうまく切り抜けることができたら、あとの9年間は安泰だということになる。 そこで、この先7のつく年を調べてみた。 いや、調べるまでもなかった。 なんと来年は2007年ではないか。 これからという時に、なんということだ。 今から何か対策を立てておかないと、来年はちょっとやっかいなことになってくる。
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