ぼくの本籍地は、ぼくが生まれ育った北九州市八幡西区にあるのではなく、お隣の八幡東区にある。 そこは父がかつて住んでいたそうで、そのまま当時の住所を本籍地にしているそうだ。 そのため、本籍地は旧区画(つまり『大字』表記)で書かれており、そこが現在何町の何丁目何番地何号に当てはまるのか、まったくわからない。
さて、その八幡東区だが、かつて北原白秋が、 「山へ山へと 八幡はのぼる はがねつむように 家がたつ」 とうたったように、実に山の多いところである。 平地はスペースワールド周辺だけで、人の住むところのほとんどは、坂の途中にある。
まずJR八幡駅を降り、大通りに出るまでは緩やかな坂になっている。 その上の通りに行くには、最初の坂の倍の勾配の坂を登らなければならない。 さらにその上の通りまでは急坂で、その上はすでに山道である。 そして、その山道は最終的に皿倉山山頂に行き着く。 駅から山道までの距離を測ったことはないが、おそらく2キロ程度ではないだろうか。 その2キロ程度の斜面に、家がぎっしり詰まっている。
なぜこういうことになっているのかというと、その昔八幡製鉄所がいいとこ取りをしたためである。 製鉄所の敷地を線路で囲み、平地に人が住めないようにしてしまったのだ。 しかし、そこで働くには住む場所がいる。 そこで、山に向かって家を建てていったわけだ。 おかげで道のないところにも家が建ってしまった。 そこに行くためには、階段を利用しなければならない。 ぼくたちでさえきついのだから、お年寄りにはこの坂や階段はかなり応えるはずだ。
ということで、このことは八幡の町づくりを始めた、明治の昔から問題になっていたものと思われる。 だが、別段騒ぎもしなかったようで、ぼくたちが小学校の頃に習った社会科では、公害問題は書いてあっても、「お年寄りがきつい町」などということはまったく書かれてなかった。 実は、このことが表沙汰になったのは、つい最近のことなのである。 高齢化社会の到来が、問題に火を付けたのだ。 子育てが終わり、定年を迎え、「さあ、これからのんびりと暮らそう」と思っていたら、きつい坂の生活が残っていたというわけだ。
この坂の問題は、『坂の上のマリア』という映画にもなっている。
|