| 2005年12月09日(金) |
延命十句観音経霊験記(番外編) |
十数年前の話だ。 ぼくの部署にいた女性の派遣社員が、仕事の合間に般若心経の本を読んでいた。 ぼくが「般若心経なんか読んで、どうかしたと?」と聞くと、その女性は「今、必死で覚えてるんですよ」と言う。 「何でまた般若心経なんか覚えるんね?」 「般若心経を唱えると、願い事が叶うと聞いたもんですから」 「ふーん」 「でも、意味のない言葉を覚えるのって難しいですね」 「いや、意味はなくはないんやけどね」 「へえ、意味なんてあるんですか」 「うん、あるよ。でも、願掛けには必要のないことやけ、別に読む必要もないけどね」 「しかし、私ってどうしてこんなに物覚えが悪いんだろう。一週間くらい前から取り組んでるんだけど、まだ二行も覚えてないんですよ」 「一週間で二行か…。もしかしたら、そのお経はあんたには向いてないんかもしれんね」 「えっ、お経に向き不向きとかあるんですか?」 「あるよ。学校の勉強でも好き嫌いがあるやろ。あれと同じ。好きな学科は何もしなくても頭に入ってくるやん」 「ああ、そうか」 「あんたに向いているお経なら、すんなりと覚えられると思うんやけどね。今その覚えることが障りになっとるんやけ、それは不向きだと思うよ」 「そうですか。じゃあ、私にはどんなお経が合ってるんですか?」 「そんなことわかるわけないやん」 「そうですよね。それならもっと短いお経にしようかなあ。何かないですか?」 「念仏とかお題目じゃだめなんね?」 「何か年寄り臭くて、カッコ悪いじゃないですか。お経がいいんですよ」 「お経だってカッコいいとは思えんけど…。そうか、短いお経か。ないことはないけど」 「えっ、あるんですか?」
そこでぼくは、紙に延命十句観音経を書いて、彼女に渡した。 「これ何ですか?」 「お経」 「えっ、これお経なんですか?」 「うん」 「たったこれだけですか?」 「たったこれだけ」 「効くんですか?」 「おれは効いたよ」 「本当ですか?」 「うん」 「じゃあ、このお経を覚えよう」 ということで、ぼくは彼女に読み方を教えてやった。
翌日のことだった。 彼女はぼくを見つけると、「しんたさーん」と言って走ってきた。 「どうしたと?」 「いや、昨日のお経、私あれを覚えることにします」 「昨日、そう言ったやないね」 「言ったけど、半信半疑だったんですよ。向き不向きとかいう話を聞いていたし…」 「それがまた、どうしてそうなったんね?」 「あれから家に帰って、紙に書いてもらったのを読んでいたんですよ。その時ふと、床の間のほうから誰かがこちらを見ているような気がしたんです。それで床の間のほうを見てみたんだけど、誰もいない。気のせいかと思って、またその紙を読んでいた。ところが、まだ誰かがこちらを見ているような気がするんですよ」 「何それ、霊でもおるんやないと」 「いや、そんなのじゃなかったんです。実は床の間に掛け軸がかかっているんですけど、こちらを見ているような気配はそこからしていたんですよ」 「何の掛け軸?」 「書なんですよ」 「漢詩か何か?」 「今までそう思ってたんです。それで気にもとめなかったんだけど、昨日なぜか気になって読んでみたんですよ。そしたら、何とそこに書いていたのは、昨日しんたさんに書いてもらったお経だったんですよ」 「へー」 「その時、このお経は私に合ってると思ったんですよ。それで真剣に覚えようと思って」 「縁があったんやね」 「そうですね」 そう言って彼女は喜んでいた。
その後、彼女は他の会社に移ったため、願が成就したかどうかはわからないままである。 だが、彼女はおそらく、延命十句観音経を一生持って行くだろう。 これも一つの霊験である。
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