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2005年04月19日(火) 三大聖人と日本

昨日の日記を書くために、十数年ぶりに論語を開いてみた。
今日は休みで暇だったため、昨日書棚から出したその論語をペラペラとめくっていた。
読んでくうちに、これも絡めればよかったと思う部分が何ヵ所かあった。
例えば、
子曰く「君子は和して同ぜず。小人は同して和せず(君子は協調はするが馴れ合わない。小人は馴れ合うが協調はしない)」や、
子曰く「君子は周して比せず。小人は比して周せず(君子は友好的であるが身勝手ではない。小人は身勝手だが友好的ではない)」などである。

また、「孔子は野蛮国と言われる周辺の国でさえも、ちゃんと君主をいただいて統一国家として成り立っているところがある。それに比べてわが国は何だ」と嘆いている。
これを読んで思うのは、孔子の生きた時代から現在まで、二千五百年ほどたっているが、中国人はその頃から何も進歩していないということだ。

さらに孔子は、おそらくその統一された国であっただろう東夷の国に船で渡り、そこに住んでみたいとも言っている。
これは日本のことだろうと言われている。
ということは、日本という国は、その当時から開けていたことになる。

惜しむらくは、そのことを記した史書が残ってないことだ。
一説によれば、ちゃんと史書は残されていたのだが、歴史上のある時期に焚書されたということだ。
それをやったのは、渡来系の人たちだったという。
その渡来系の人たちというのは、きっと日本が野蛮で文明の遅れた国でなければ都合の悪い国から渡って来たのだろう。
今も昔も、そういうをやる国というのは、だいたい決まっている。

また、論語のこの記述をもって、孔子日本人説を唱える人もいる。
元々日本で生まれた孔子は礼を教えに大陸に渡ったというのだ。
そしてこの言葉は、その後夢破れた孔子が、望郷の念に駆られて吐いたのだという。

しかし、孔子にとどまらず、イエスも釈迦も日本に関係ある人たちだと唱える古文書がある。
イエスと釈迦、どちらも空白の時代があるのだが、その間何をしていたのかというと、日本に来て修行していたのだという。
そして日本で悟りを開き、各々の国に戻って布教を始めた。
嘘みたいな話だが、日本国内にはちゃんとその記述を裏付ける証拠があるのだという。
その証拠というのは何かというと、墓である。
つまり、イエスや釈迦の墓が日本に存在するらしいのだ。

そのイエスについてであるが、古文書によれば、磔にされたのはイエスではなく、その弟イスキリだったという。
処刑を逃れたイエスは、この日本に渡ってきて、長寿を全うしたらしい。
そのイエスの墓は、青森県の戸来というところにあるらしい。
『かごめかごめ』という童歌があるが、あの歌を作ったのはイエスなのだという。

当然ながら、その古文書はいわゆる偽書にされている。
日本はどこかの国と違い、いくらそれがイエスのことといえども、偽書にしか載っていない夢物語を、歴史教科書に載せせるようなことはしないのだ。
これだけ見ても、日本が歴史を改ざんする国でないことはわかるだろう。


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