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2005年04月13日(水) 宗教の違いは如何ともしがたい

誰しも、幼い頃から付き合ってはいるもののなぜか馬が合わない、という間柄の人がいるものである。
時にそういう人を理解しようとして仲良く振る舞うこともある。
が、元々理解できないのだから、その関係というのは、あくまでも表向きでしかなく、時が流れれば、結局は「やっぱり理解できない」となって、元の馬が合わない間柄に戻っていくものだ。

国と国でもそれは同じことである。
日本とドイツは元々馬が合わなかったわけではないが、特に仲がいいという間柄でもなかった。
そういう間柄の二国が、先の大戦で同盟を組んだ。
とはいえ、手を取り合って戦ったわけでも、同じ戦場で肩を並べて戦ったわけではなかった。
もちろん敵は共通だったわけだが、あくまでもそれは、たまたま日本が戦わざるをえなかった相手の中に、ドイツが敵としている国があっただっただけの話で、何も「ドイツの敵だから」という理由で日本はそれらの国を敵に回したのではなかった。
もし、手を取り合っていたら、日本は、ドイツと死闘を繰り広げているソ連と、不可侵条約などを結ばずに、背後から攻めていたことだろう。
しかし、そうはしなかった。
元々ヒトラーは日本人を軽蔑していたわけだし、そのヒトラーが嫌ったユダヤ人を日本は保護しているのだ。
つまり、同盟は利害関係の上で成り立っていただけで、そこにお互いの国に対する理解というものはなかったわけだ。
結局両国は最後まで理解しあえる間柄にはならなかった。
ということで、戦争が終われば、両国は元の関係に戻っていった。

同盟国でさえこんなふうであるから、仮想敵国と見なし見なされている国同士は、さらに理解は不可能だろう。
そう、中国や韓国のことである。
彼らは日本を理解できないから、ああいう反日行動をとるわけで、我々日本人としては、何でああいうことをやっているのか理解できないでいる。
なぜ理解できないのか?
もちろん政治上の理由もあるだろう。
また歴史上の問題もあるだろう。
しかし、それを言ったら切りがない。
元々理解しえなかったからこそ政治上の問題になったわけだし、それが歴史に繋がったわけなのだから。

では、その理解しえない根底には何があるのか?
ぼくはそれを宗教だと思っている。
言うまでもなく、中国や韓国は儒教の国である。
一方の、日本は神道の国である。
これまで日本が中韓にある程度の理解を示してきたのは、かつて日本も儒教をかじった時期があったからだ。
しかし、中韓には神道から影響を受けた歴史はない。
まあ、韓国は、彼らの言う日帝36年間に神社を建てるなどして、形だけの神道をやっていたことはあるが、そこにある思想や生活観はとうてい理解できたとは思えない。

長い間紛争の耐えない中東を見てもわかるように、この宗教の違いという溝は、いつまでたっても埋まるものではない。
日本が中国や韓国との近代的なつき合いを始めて、すでに百数十年経っているが、彼らはその半分以上の歳月を、『反日』『侮日』に費やしてきた。
その要因は日本の成功への妬みもあるだろうし、かつて文化を伝えたという自負もあるだろう。
が、何よりも大きな要因は、彼らが日本人を理解できないことにある。
それは宗教が違っているからである。
そして、中韓と宗教が違うからこそ、我々日本人には中韓の人たちの行為が滑稽にしか映らないのだ。
この溝はいつまでたっても埋まらないだろう。


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