昨年の夏に、高校に上がるまで通っていた柔道の町道場のことを書いた。 その道場では柔道だけではなく、居合道も教えていた。 そのことも日記に書いたのだが、一つだけ書き忘れたことがあった。 実はその道場ではもう一つの武術を教えていたのだ。 それは、手裏剣術である。 手裏剣と言っても、忍者映画に出てくる八方手裏剣などではない。 棒手裏剣である。 五寸釘の太いやつと思ってもらえばいい。 先生は、その道の宗家でもあったのだ。
先生は支那事変の時、部下の敵を手裏剣で取ったという。 何でも、敵兵を待ち伏せしておき、何歩か手前に来たところで、手裏剣を投げたらしい。 そしてそれがすべて当たり、かなりの損傷を与えたのだという。 ぼくは最初、またいつものホラが始まったと思って聞いていたが、その時の新聞の切り抜きを見せてもらい、それが本当のことだとわかった。 その新聞の見出しには、『近代戦に手裏剣』と書いてあった。
ぼくたちがどんな練習をやっていたのかと言えば、壁に板を立てかけ、そこから十メートルほど離れたところから手裏剣を投げる、ただそれだけであった。 ぼくたちは、その練習を、柔道や居合の練習の合間にやらせてもらっていた。 だが、これがけっこう難しい。 最初のうちは、力任せに投げていたのだが、それではなかなか的に刺さらない。 そこで先生に、「どうやったら刺さるんですか?」と、そのコツを聞いてみた。 先生は「肩で投げるな」と言った。 ぼくが「肩で投げんで、どこで投げるんですか」と聞くと、先生は「腰で投げろ」と言う。 腰で投げる、この要領がわからない。 そこで先生の投げ方を見てみると、なるほど肩には全然力が入ってない。 それなのに、板に刺さる時には火花が散るのだ。
そこで、先生の投げ方を真似てやってみた。 すると、10回のうち2,3度は刺さるようになった。 見事刺さる時には、手裏剣が的の前でゆっくりと一回転する。 それが気持ちいい。 それから手裏剣に病みつきになった。 先生から、手裏剣を分けてもらい、家でも練習することにした。 しかし、分けてもらったのは一本だけだった。 そのため、投げるたびに手裏剣を取りに行かなければならない。 それが面倒で、そのうち家で手裏剣を投げることはやめてしまった。
ある日、東京から一人の学生が、手裏剣を習いにやってきたことがある。 それが若き日の武術家甲野善紀さんだった。 練習熱心で、物静かな人だったのを憶えている。 テレビで何度か拝見したことがあるが、その時「甲野さんは、こんな声をしていたのか」と思ったものだ。
先生が亡くなってからは、手裏剣に触ることもなくなった。 その当時、手裏剣を投げていた人も、今は何もやってないようだ。 ということは、先生の技を受け継いでいるのは、甲野さんだけになってしまったということか。 地元の弟子としては、ちょっと寂しい気がする。

|