夕方、暇だったので店内をブラブラしていると、カウンターの中でアルバイトの女の子が下を向いているのが見えた。 「またあいつは寝やがって。起こしてやろう」と思い、そこに行ってみると、別に寝ていたわけではなかった。 下を向いて何かやっていたのだ。 ちょうど机の影になっていたので、何をやっているのかはわからなかった。 そこで、背後から回り込んで見てみると、彼女はリボンを手に持って一生懸命ゆらゆらと揺らしている。 リボンの先は、彼女の足下にあった段ボール箱の中に続いていた。 「おまえ、何しよるんか?」 「あ、しんたさん。かわいいですよ」 「え、何かおるんか?」 「うん、箱の中見て」 箱の中を覗いてみると、何とそこには一匹のブタ猫が入っていた。 「どうしたんか、これ」 「迷い猫なんですよ。店内をウロウロしていたんで、捕まえて箱の中に入れたんです」
なるほど、箱に『迷い猫』と書いてある。 しかし、猫が迷うはずはない。 迷っていると思うのは、人間の浅はかな考えでしかないのだ。 猫は、ただ散歩していただけで、偶然店の中に入ってきただけの話である。 「よく捕まえたのう。逃げんかったか?」 「大人しいんですよ。人慣れしてるみたいだし。首輪してるから、きっと飼い猫ですよ。」 「しかし、そんな箱やったら、出れるやろう?」 「それが出ないんですよ。一度箱から身を乗り出したけど、出てきませんでした」
で、彼女が何をやっていたのかというと、リボンを猫じゃらしにして遊んでいたわけだ。 猫は手を伸ばして一応リボンに反応していたが、実際はリボンが目障りだったので、取り上げようとしていただけだろう。 それを見ているうちにぼくは、前々から猫にしてみたかったことがあったのを思い出した。
そこでバイトの子に、「ここは歯磨き粉はないかのう?」と聞いてみた。 「ああ、ありますよ。そこの引き出しの中」 引き出しを開けてみると、試供品と書いた歯磨き粉が入っていた。 ぼくはさっそくそれを取り出し、ふたを開けて猫の鼻の先に持っていった。 何かを鼻の先に持っていくと、鼻をヒクヒクさせながら近づけてくるのは、きっと猫の習性なのだろう。 案の定、この猫も習性通りに鼻を近づけてきた。 その瞬間、猫は嫌な顔をして目を閉じた。 一度歯磨き粉を鼻先から外し、もう一度鼻先に持っていくと、また同じように鼻をヒクヒクさせながら近づけてきた。 結果はやはり同じで、嫌な顔をして目を閉じた。 3度目は引っかからないだろうと試してみると、やはり猫は習性通りに鼻をヒクヒクさせて近づけ、嫌な顔をして目を閉じた。 バカである。
閉店後、バイトの子に、「おまえ、この猫どうするんか?持って帰るんか?」と聞いてみると、「持って帰るわけないじゃないですか」と言う。 「なら、逃がすんか?」 「いちおう逃がすけど、ちゃんと家に帰れますかねえ?」 「アホか。ここまで歩いてきたんやけ、ちゃんと歩いて帰れるわい」 「そうですかねえ…?」 「表から逃がすと、また入ってくるやろうけ、裏から逃がせよ」 ぼくがそう言うと、バイトの子は猫を箱の中から取り出した。 ところが、猫はそれが気に入らなかったのか、バイトの子にパンチを入れた。 「おまえ、猫から叩かれよるやないか」 「何で叩くんかねえ?」 「抱き方が悪いんやないんか」 それを聞いて彼女は、猫を抱き変えてみた。 ところが、猫はそれも気に入らなかったのか、再び彼女にパンチを入れた。 「おまえ、猫になめられとるんやないか」 「そんなことはない」 そう言って、彼女は猫を箱の中に戻そうとした。 「あ、ちょっと待て」 「えっ?」 「店に来た記念に写真撮っとくけ」 ぼくは、そう言って携帯電話を取り出し、シャッターを切った。

外に出すと、猫はすぐにどこかへ行ってしまった。 バイトの子は、まだ「大丈夫かねえ」と言って心配していた。 大丈夫に決まっとるわい。
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