40代に入った頃、物忘れがひどくなったのに気がついた。 ある日、冷蔵庫にジュースを取りに行こうと思い、部屋を出た。 台所に入った時、時計の音が鳴った。 その瞬間、ぼくは台所に立ちすくんでしまった。 「さて、何をしに来たんだろう?」である。 いくら考えても思い出せないので、しかたなく部屋に戻った。 イスに腰掛け、タバコに火を点けた。 その時、ようやくジュースを取りに行ったことを思い出した。
「もしかしてボケ…?」 ぼくは愕然とした。 その後も何度か同じ事があり、しばらくの間、ぼくはそのことに悩みを持った。 しかし、一人で悩みを抱えているだけでは、何も解決にならない。 そこで、親しい人何人かに、思い切って聞いてみることにした。 その人たちは、異口同音に「ああ、おれも40歳過ぎてから、物忘れがひどくなったよ」と言っていた。 それを聞いた時、「自分だけじゃなかった」と思い安心した。 しかし、若干の不安は残った。
完全に悩みから解放されたのは、それから1ヶ月ほど過ぎた頃だった。 ある日、本屋でボケの本を立ち読みしていると、「ボケは『嫌なことを忘れなさい』という神の思し召し」というようなことを書いてある本があった。 そこには「中年以降の物忘れなどは、自然なことである」とも書いてあった。 それを読んで、ぼくはようやく安心し、それ以降は物忘れしても気にならなくなった。
しかし、このままボケ症状が進行するのもシャクである。 中年の物忘れが、自然なことでどうしようもないというのなら、何か別な方法でそれを補うことは出来ないかと考えた。 そこで目を付けたのが、算数だった。 数学は方程式を覚えなければ解けない。 そこに必要なものは、記憶力である。 一方算数は、方程式を使わずに解かなければならない。 そこに必要なものは、洞察力である。 つまり、一つの問題を解くには、記憶力を使う方法と、洞察力を使う方法があるということだ。 これを応用すればいい。 物忘れとは記憶力の低下だから、記憶力の代わりに洞察力に頼ればいいのだ。
そこで、とにかく算数能力(つまり洞察力)を養おうと、小学生の算数の問題集に挑戦した。 問題は簡単だった。 しかし、それは方程式を使えばの話である。 その方程式が使えないのだから、かなり難しい。 悪戦苦闘の日々が続いた。 最初のうちは、算数的な考え方が出来なかったから、まず方程式で答を求めて、それから後に解き方を考えることにした。 それを続けていくうちに、だんだん頭が柔らかくなっていくのを感じるようになった。 つまり、最初から算数的な考え方で問題が解けるようになったのだ。
一度、そういうことが出来るようになると、面白みが増してくる。 結局ぼくは、それにはまっていた時代に、3冊の問題集を解いた。 期間にして3ヶ月くらいだったろうか。 その後、興味がパソコンに移ったために、4冊目は手つかずのままである。
しかし、洞察力の養成は今も続いている。 きっと、算数的な考え方が身に付いてしまったためだろう。 あいかわらず「何で、ここに来たのだろう?」というようなことをやってはいるが、そこで考えるのを諦めないようになった。 「どうしてこんな行動をとるに到ったか」を前後の行動などと考え合わせて、答を追求するようになったのだ。 おかげで、時間はかかるものの、何とか答を導き出せるようになった。
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