| 2004年04月06日(火) |
昨日までの生きざま(下) |
ぼくに必要だったのは、一歩外に出る勇気だった。 2ヶ月間、そんな簡単なこともわからず、一人部屋の中で、意味もなくのたうち回っていたのである。
何とかその秋には活路を見つけたものの、まだ克服には到らなかった。 克服するためには、北九州で甘えていてはならなかったのだ。 そのため運命は、翌年、まったく知らない土地、東京にぼくを向かわせた。 西から風が吹いてきて「帰ってこいよ」と言うまでの2年間、ぼくは『社会に対する恐れ』と闘っていたわけだ。
さて、『昨日までの生きざま』から始まる1年間というのは、ぼくの人生に置いて、どういう意味を持っていたのだろうか。 もがいてももがいても、一向に抜け道は見つからず、「このままおれは、死んでしまうのではないだろうか?」という不安にさいなまれたこともある。 とにかく、すべてが空回りした時期であった。
人間には、誰しもさなぎの時期があると聞く。 ぼくにとって、おそらくその1年が、その時期に当たるのだろう。 しかし、「そこを乗り切ったからこそ、ぼくは成虫になれた」などとは思っていない。 なぜなら、あれから30年近くも経つのに、あいかわらずその後遺症が出るからである。 一人を好む性格はこの頃に培われたものだったし、人のちょっとしたしぐさが気にかかるようになったのもこの頃からである。 確かに、症状はその当時ほどひどくはない。 しかし、多少ながらも、そういうものがいまだに尾を引いているというのは、実に辛いことである。
とはいえ、その後遺症が役に立ったこともある。 一人を好むようになったことで、一人でいることが多くなったことと、人のちょっとしたしたしぐさを気にするようになったことで、観察力が高まったことがあげられる。 そのおかげで、このサイトが出来たと言ってもいい。 もし、後遺症がなければ、おそらくこのサイトは存在しなかっただろう。 なぜなら、一人の時間が、前の会社にいた頃に観察したモリタ君という、一人の変な男の存在を思い出させてくれたからだ。 それを人に伝えたいと思う気持ちが、ぼくにエッセイを書かせたのだ。 そして、そのエッセイの発表の場として、ぼくはホームページを選んだわけだ。 今なおこのサイトが存続しているのは、エッセイ『モリタ君』をみなさんが読んでくれるおかげなのだ。 それを考えると、後遺症様々である。
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