それから社会に出るまで、髪を洗うのは2日に一度のペースを守った。 東京に出てから、バイトの関係で週に一度しか銭湯に行けないこともあったが、髪だけは洗うようにしていた。
社会に出てからも、しばらくはそのペースが続いた。 ところが、ある日、髪を洗うことが許されない事件がおきた。 その前日、飲み会があったために、風呂に入るのが朝になってしまった。 その日は頭を洗う日になっていたので、ぼくは時間を気にしながら慌てて頭を洗った。 それがあだになった。 髪を洗った分、時間が遅くなったため、駅に着いたのは、電車の発車時間ギリギリのところだった。 ぼくは急いで、駅前の歩道橋を駆け上り、そして駆け下りようとした。 が、勢い余って足がもつれてしまった。 このままでは倒れてしまう。 「何かつかむものはないか?」 と、そこに手すりが見えた。 そこで、とっさに手すりをつかもうとした。 ところが、バランスを崩してしまい、頭から手すりに突っ込んでしまった。 ちょっと前に頭を洗ったばかりだったので、まだ皮膚がふやけていたのだろう。 手すりで打ったところが、ばっさりと切れてしまった。 会社に着いてから病院に行ったのだが、そこで5針縫う羽目になった。 縫合した後、医者から「抜糸するまで頭は洗わないで下さい」と言われた。
その事件が起こったのは、残暑の厳しさが残る9月のことだった。 そのため、地獄を味わうことになる。 さすがにその日は風呂に入る気もしなかったが、翌日から、髪の毛に着いたままになっている血糊と汗のせいで、だんだん頭が痒くなっていった。 傷口が治るにつれ、患部も痒くなっていく。 かといって頭を洗うことは出来ない。 3日目で、すでにのたうち回っていた。 風呂に入ると痒みがひどくなるため、4日目は風呂に入らなかった。 5日目、ついにピークを迎えた。 もはやぼくには、痒みを我慢するだけの精神力は残ってなかった。 頭を洗ってしまったのだ。 とはいえ、さすがに患部を洗う勇気はなかった。 おかげで痒みは半減したものの、患部の痒みがクローズアップされることとなった。 6日目、抜糸前日である。 その日は風呂に入らなかった。 7日目、ついに抜糸である。 抜糸後、医者から「今日から思いっきり頭を洗ってもいいですよ」と言われた。 家に帰ってから、医者に言われたとおりに、思い切り頭を洗った。 これで患部付近に残っていた血糊もきれいさっぱりに落ち、痒みから解放された。
今からもう22年前の話であるが、いまだにその時の痒みのイメージが鮮明に残っているくらいだから、よっぽど痒かったのだろう。 それからぼくは、そのイメージと闘うがごとく、毎日頭を洗うようになった。
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