ぼくの行っている床屋にはトイレがない。 床屋とそこの先生の家とは繋がっているので、いよいよトイレに行きたくなった時は、先生の家のトイレを借りることは出来る。 しかし、そこに行くためにはいったん外に出て、先生の家の玄関から入らなくてはならない。 他人の家に入る。 これがぼくは苦手なのだ。
ぼくは営業関係の仕事に就いているため、他人の家に上がり込むこともたまにはある。 基本的には嫌なのだが、その時はこれも仕事と割り切っている。 しかし、仕事でもないのに他人の家に上がり込むのというのは苦痛以外の何物でもない。 親しい人の家、いや親戚の家に上がり込むのでさえ嫌である。 もしどうしてもそういった家に行かなければならない場合は、なるべく玄関先で用事を済ませることにしているのだ。
しかも床屋の場合、髪を切っている途中に行くこともあるわけだ。 運が悪ければ、ヘンテコリンな髪型になっていることもあるかもしれない。 そういう髪型の時、外に出るのは悲惨である。 床屋の前の通りは、わりと人通りの多いところだから、誰に見られるかもわからない。
と、そういった諸事情があるために、床屋に行く時は、必ずトイレをすませてから家を出るようにしている。 また、途中でトイレに行きたくなっても我慢することにしている。
さて、今朝のこと。 顔を洗ってから、いつものようにトイレに入った。 ところが、である。 昨晩の体の冷えは治まり、鼻水も止まっていたのだが、その冷えの影響か、少し腹が痛くなっていた。 そのため、下痢といったほどではないが少し便が軟らかい。 終わった後も腹の痛みが治まらない。 そこでもう一度トイレに駆け込んだ。 軟らかい便が、また出てきた。 そこでしばらく座っていると、何とか腹の痛みも治まってきた。 これで床屋に行ける。と、ぼくは家を出た。
床屋は家から歩いて5分のところにある。 ところが、今日はあいにく冷たい風が吹いていた。 ぼくは嫌な予感がした。 そのとたん、また腹が痛くなった。 冷たい風が腹を襲ったのだ。 しかし、もう引き返せない。 しかたなくぼくは、床屋への道を急いだ。
床屋のイスに座ってからしばらくの間、ぼくは腹の上に手を当て腹の痛みに耐えていた。 すると手の温もりがよかったのか、見る見る腹の痛みが治まっていった。 「よかった」と思った。 が、甘かった。 今度は小便がしたくなった。 こればかりは、手を当てようがどうしようが治しようがない。
「すいません。トイレ」と言えば天国である。 が、ぼくは前に記したように、こういう場合は我慢するようにしている。 そこで地獄が始まった。
まず「小便にとらわれず、他のことを考えよう」と思ったが、こういう時に限って、小便以外のことが考えられない。 「小便という言葉を、頭の中から消そう」と努力してもだめだった。 それどころか、忘れていた、小便にまつわる過去のことを思い出す始末だ。
中学生の頃、特急バスに乗って山口県の秋吉台に行ったことがある。 その時、バスの中で急に小便がしたくなったのだ。 貸し切りバスなら、言えばそれなりのところに停まってくれるだろうが、いかんせん特急とはいえ路線バスである。 しかたなく我慢を決め込んだ。 脂汗をかきながら必死に耐えた2時間だった。 それ以来「もうこんな思いはしたくない」と思ったものである。
が、今またそういう思いをしている。 「人間とは何と成長しない生物なんだ。ああ、ションベンしたい…」 苦闘1時間半だった。 ようやく終わった。 ぼくは床屋を出ると、急ぎ足で家に向かった。
ところが、家に着くと、それまであんなにしたかったのに、まったくしたいとは思わない。 いちおうトイレには入ったが、出る量も少しである。 これはどうしたことだろう。 もしかしたら、ぼくは床屋で緊張していたのかもしれない。
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