“逢えない人の影をぼくは追っていた。 いつかめぐり逢えるとトランプをめくった。 奇跡をいつも夢見てはため息ついた。 そこから一歩も出ずに” (自作詩『十九の頃』より)
ラジオで、山崎まさよしの『One more time, One more chance』という歌がかかっていた。 この歌を聴きながら信号待ちしていたのだが、ふと19歳の頃のことを思い出した。 あの頃、ぼくもこの歌のように一人の女の人を探していた。 その頃作った詩に、『明日はきっと』という詩がある。 「何もいいことがないから こうしてトランプ切るのです ほら明日は素晴らしいと出た 願い事も叶うと出た
逢いたくても逢えないから こうしてトランプ切るのです ほら明日は素晴らしいと出た 明日はきっと逢えると出た
嘘でもいいんです 一時しのぎでいいんです 明日何もなくったって またあさってに切るのです
誰もいない夜だから こうしてトランプ切るのです ほら明日も素晴らしいと出た あの子もぼくを好きだと出た
明日はきっと… 」
ギターを弾く以外、することがなかったので、いい結果が出るまで何度もトランプ占いをやっていたものだ。 一発でいい結果が出た時などは、「もしかしたら今日逢えるかも」というので、いつも街に出ていた。 なるべく人通りの多いところというので、通りに面した本屋に行っていた。 そこで、「もしかしたら」という奇跡を願っていたわけだ。 しかし、その人と逢うことはなかった。 その時の状況を他の詩に見つけた。 「見たことのある人が、 笑いながら過ぎて行った。 振り返ってみても誰もいない。 ねえ、これが毎日なんだ。」
そういえば、その時本屋でちょっとした出来事があった。 本屋で長い時間立ち読みしていると、タバコが吸いたくなったものだ。 その本屋には喫煙場所がなかったので、タバコを吸う時はいつも外に出ていた。 足も疲れていたので、電柱に寄りかかり、時間をかけてタバコを吸う。 それを何十分か置きにやっていた。 何回目かの喫煙時間だった。 何か視線を感じるのだ。 ふと見ると筋向かいから、こちらを見ている女の人がいる。 何と表現したらいいのか、とにかく「ちょっと・・」という容姿の持ち主だった。 知らない人なので、誰か他の人を見ているのだろうと思っていた。
次の喫煙時間。 ぼくが外に出ると、筋向かいにある商店から、女の人が出てきた。 先ほどの女性だ。 彼女は、やはりこちらを見ている。 ぼくは「どこかであった人かなあ」と思い、目を凝らしてみたが、やはり知らない人だ。 ところが、ぼくが目を凝らして見たのをどう受け止めたのか知らないが、彼女はぼくにニコッとほほえみかけた。 ゾクッとした。 「変な女やなあ」と思ったぼくは、その後は目を合わさないでいた。 しかし彼女は、ぼくがその場を立ち去るまでそこに立っていた。
それから1年後、バイト先で仲良くなった男にその話をしたことがある。 彼は「それ、もしかしたら○商店の娘やないんね」と言った。 「その人有名なん?」 「有名も有名。おれたちの高校で知らん人はおらんかったよ」 「へえ」 「ちょっとおかしいんよ」 「え? 頭が?」 「それもあるんやけど。とにかく男に飢えとるというか、男を見るとニヤッと笑うんよねえ、あの顔で。おそらく、その時しんたのことが好きになったんやろうね」 「・・・」 「いいやん。家は金持ちみたいやけ。どう、つき合ってみたら?」 「冗談やない!」
それから数年後のある日。 高校時代の友人が、「しんた、○商店の娘を知っとるかねえ」と聞いてきた。 「ああ、知っとるよ。ぬりかべみたいな女やろ」 「あの女、結婚するらしいんよね」 「え!? 物好きもおるもんやねえ」 「その相手というのが、うちの会社の人間で」 「へえ、そうなん」 「どうも金目当てらしい」 「そうやろね」 お見合い結婚だったらしい。 夫になる人の心中を、ドラマ『やまとなでしこ』の欧介さんふうに言えば、きっと「あなたの金以外、どこを愛せと言うんですか!?」ということなのだろう。
ところで、断っておくが、ぼくが探していたのは、その女ではない。
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