Lacrimosa 日々思いを綴る
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小学生が、同級生を校内で殺害する。 動機は、ネット上の書き込み。はっきり言って取るに足らない事だった。 BBSの不適切なスレッドを削除するような感覚で、一人の人間を死に至らしめたのか。事の重大さに気付いた時には、かつて仲の良かった同級生が、血まみれの骸と化していた。
何年か前に、生徒が教師をナイフでメッタ刺し、といった事件があった。 今回の場合、瞬間的に激昂して及んだ犯行ではなかった。頭に血が昇っていた事に変わりはないだろうが、ある程度計画された犯行だった。 外部の殺人嗜好者ではなく、それまで普通の学校生活を送ってきた、11歳の少女による犯行という事実に、世間一般と同様、俺もまた戦慄した。
スレッドは削除すればそれきりだが、人間は命を絶っても亡骸が残る。 多量の血液と横たわる躯を目にした時、カッターナイフを手にした少女は、それまで家庭や学校が、日常からさんざん遠ざけてきた「死」という事実を、かつてないほどリアルに感じていたに違いない。
「人の命とは 尊いもの」 教師という職に就いている人間であれば、年に1回くらいは口にしているであろう言葉だ。 この言葉には、俺も理解を示す。地球より重いとは言わないが、尊いものである事に変わりはない。 だが、「生」の尊さを伝えんとするならば、その対極に位置する「死」とはいかなるものか、という事をも伝えねばなるまい。 学校教育においては、「死」というものを実に曖昧にしている。「死」というものがリアルに感じられなければ、「命の大切さ」など伝わろうはずもない。教室で飼ってる動物を平気で痛めつける生徒が現れる事も、別にゲームやテレビの影響ばかりではなかろう。
やがて来る「死」というものに向き合い、改めて「生」の尊さを知る。 …宗教教育を導入した方が、手っ取り早いと思うが、どうか。
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