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■ 新しい家と私の場所。
この数日間、走り回っていることが多かった。新しい家を探したり、就職活動をしたり。こういうふうに書いてみると、目的はただのふたつしかないので、そうたいしたことをしていないようにも感じる。けれど、半年振りにパンツスーツにヒールを履いて、山手線に乗ったり、私鉄に乗ったりするのは、今の私にはなかなか労力の要ったことだった。家探しにしても、こんなに不動産屋さんを渡り歩くのははじめてのことで、また初対面の人にこう多く接する日々も、とても久しぶりだった。 昨日、新しい家が決まった。洗足池から徒歩15分。古い家の一階で、四畳と六畳、窓がみっつもある。クーラーはないけれど、風通しが良くて、日当たりも良い。ゆるゆるとした日曜日の夕方を彷彿とさせてくれたので、そこにした。新居決定の知らせをある人にしたら、「ちゃんと洗濯機を置くところに排水溝はあったのか?」だの「水道は?」だの色々とつっこまれて、そういう備品的な部分にちっとも目を光らせずに家を決定してしまった自分に気付いた。けれど、あの家の日曜日の午後がすでに私の中で出来上がっている以上、あの家以外の棲家は考えられないな、と感じている。 不動産屋さんが言うには、自分に合う家というのは、最初の一歩でわかるのだそうだ。はじめの一歩で「良いな」と感じたら、それを信じるべきだと上司に教えられていると、その人は言っていた。もちろん、備品的な面も考えなくてはならないけれど、最初の一歩を信じろ、という意見には私も賛成だ。 家を探す時、人は自分が家を選んでいると考えている。けれど、私は少し違うと思う。最初の一歩で、どうもこの家は違うな、と感じるのは、家が人を選んでいるからではないかと思う。しっくり馴染んでくれる家は、最初から他人の顔をせずに「おかえり」と言ってくれているような気がする。今度、私が住もうとする家は、まさしくそんな家だった。 これから、ますます忙しくなる。引越しの準備もしなくちゃいけないし、就職活動はまだまだ続けていかなくてはならない。先々のことがどうなるかわからないので、精神状態が今、とても不安定になっている。けれど、今月が終われば、どうにかなっているだろう、という楽観的な気持ちもある。事態の楽観視は、自分の悪い癖だなあ、とも思うけれど、今回ばかりは少し救いになっている。そして、新しい家の存在。待ってくれる人がどこかにいると、とても心強いように、あの家もまた私を応援してくれているような気がしている。 洗足池から徒歩15分。小高い場所で、眼下に東京郊外を見下ろしながら、あの家は今日も日に良く照らされて、気持ちの良い風を通していることだろうと思う。
2003年08月07日(木)
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