スナックおのれ
毛。



 ノミヤマキ=ロボット論

未だに、大きい声でピチカートファイブを聴いていることを人に言えない。「ピチカートファイブを聞いている人」=「おしゃれを決め込んでいる人」みたいな図式が頭に浮かんで、なんだか恥ずかしくってしょうがない。「私はお洒落ですよ〜」「ポップでアート、それでいて愛らしく、キュートなピチカート聴いてます」みたいな感じがする。(言い過ぎか・・・)ピチカートマニアに、会ったこともないくせに、私の中には「ピチカート好きな人」のイメージが出来上がっているのです。(失礼なことと存じ上げています、ピチカートマニア)たとえば、その人たちは「フランスギャル」のレコードを、あの簡易レコード機で聴いているような、水玉とかチェックの模様ばかりの「どこで寝てんの!?」って感じの部屋に住んでいそうな、で、ミントティーとかが好きそうな、夜は間接照明で暮らしそうな、そんなイメージ。つまりは、生活感がないというか、いや、生活感を消す努力を生きがいにしている人、そんな人が思い浮かびます。(実際に会った事もないのに、失礼な話とは存じ上げています。拝啓、ピチカートマニア!)そんな私が、ピチカートを聞くようになったきっかけ。それは「不景気」というタイトルの曲です。それまで、ピチカートのポップな(!)曲に惹かれはしても、実はノミヤマキ嬢の歌声が苦手でどうも手が出せませんでした。あの、うわついた声、あの、イケテル風オンナ声、どうも耳についてならなかった。けれど、この「不景気」という曲を聴いてから、私の中に「ノミヤマキの声は、実は凄かった」という図式がなされ、その後、ピチカートをいくつか聞くうちに「ノミヤマキ=ロボット論」という結論を得ました。
正しく言えば、ノミヤマキ=操り人形(ロボット風)論。ピチカートといえばやっぱりコニシ。あの前葉体髭を生やした死んだ魚の目のおっさんです。要は、彼がピチカートをどういう方向に持っていきたいかってことなんですよね。ピチカートは、監督がコニシで、女優がノミヤマキの映画みたいなもんです。ノミヤマキは監督の指示で、「ポップでキュートな音楽」をつくるために演技をする。それぞれの個性を尊重する音楽が多い中で、ピチカートファイブは個人のアイデンティティを極力なくして、雰囲気を作り出すことに専念する。これって実はスゴイじゃないか、そう気づいたときから、私はピチカートを聴き始めました。かといって、聴く音楽が限定されているんですけれどね。私が聞くのは、女性上位時代とプレイボーイプレイガール。イイ女とやり手ガール。いやあ、ノミヤマキは実に良い女優です。



2003年05月21日(水)
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