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■ 衝撃!生リポート!「四半世紀を生きて」。
誕生日を迎え、生まれて四半世紀がたちました。まどろっこしい言い方ですみません。25歳です、25歳ですわ。これがなかなか考え深いもんで、向かえることに心構えをしてしまいました。二五年。母親にも言われましたが、大きな病気もせず、よく生きたもんです。当初は、23くらいで死ぬつもりだったんですけれどもね。今となっては笑い話です。話をもどして、25歳。考え深い理由は、1/4世紀、と言うことに他なりません。
いくら人が長生きするようになったといっても、一世紀をいきるのはやっぱり稀な話です。日本人の女性がだいたい80歳くらいまで生きると仮定すれば、私の場合、残すところ、今までの2倍くらい。そう考えると、短い時間です。働いたり、遊んだり、呆けてたりすると、時間なんて余りあるくらいに感じられてしまいますが、こうしてじっくり対面してみると以外に少ないと気付きました。まだ行ったことのない場所や食べたいもの、やりたいこと、成し遂げたいこと、すべてできるのだろうか、とても不安に思います。
阿呆な話。最近、自分なんていない方が世の中的にはいいのか?と思うことがあります。笑えない話なので、本当に馬鹿だなあ、と思います。あ、別に不幸せってわけじゃないですよ。めげてるんでしょ、単に。ほんと、つまんない話。
明日が始まります。今日の終りに明日が続いて、明日の終りにあさってが続く。当たり前の話だなあ、と思いますが、その先に死ぬ自分がいる。もちろん、その間に人との別れだとか、死だとか様々な出来事も保有してです。私は、残り2倍です。今、私がいると言うことは、私の最後があるということです。これまで、死んでしまった人を見たけれど、死ぬ間際の気持ちを予想をすることもできません。自分がどんな気持ちで死んでいくか、例えば、それは今の自分を仮定しても想像がつきません。
先日の取材の折、「今、死んでも後悔はないなあ」という人がいました。羨ましいと思う反面、動揺しました。死んでも後悔はない。よく考えると、たぶん、私もない。むしろ、安心するかもしれない。でも、自分が哀しいなあ、と思いました。その人とは、多分違う考えです。けれど、私はもっと生きることに貪欲でありたい。本来、自分が目指す人間としては、あれもこれも、と思えるくらいにやりたいことがいっぱいあって前向きな方が、なりたい自分、なんじゃないかな、と改めて思ったわけです。
どう考えても、あと2倍。私はなにを成せるのか。どこかから、「成す」とかかんがえるな、こわっぱが!という声が聞こえてきそうですが、やっぱり私の根っこ部分が謙虚な人間ではないから、そう考えてしまう。そう考えなきゃ、毎日の活力がかけてしまう、哀しい自分が、まだいます。これから、長いのかな、短いのかな?幸せなのかな?どうなのかな?
2002年06月30日(日)
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