スナックおのれ
毛。



 芥川龍之介に関する追憶

なぜか、高校に入学するや否や、私の親しい友人たちは芥川龍之介を読み始め、太宰にも手をだし、「カンダタがどうの」だの、「人間失格がどうの」だのという話をしはじめた事がある。もともと、彼女たちは自分たちを他の思春期の者どもと差別化をはかるために行っていたことだった。しかし、彼女たちの文学談義は、その枠を飛び越えて、なぜか芥川の顔と太宰の顔を比較し始め、私はと言えば、そんな彼女たちになんとなく鼻じろんでしまった、そんな記憶がある。
当時の私は、女子の帳尻併せのために努力するなどということに、すでに飽きていた。だいたい、すでに高校の違う彼女たちとつながりを持っていた理由は、そんなことがあったにもかかわらず、やっぱりそこにいくのか、という諦めのような気持ちと女子の交友に関する落胆のものが漂い始めていた。
高校時代の友人。実に私の交友関係は狭い。今も付き合う友人はいるが、その人数はひとり。クラスに目を向ければ、明らかに恋愛談義に華を咲かせる女子とネクラなクラスメイト、そして、そのふたつからはみ出てしまった者たちがいた。私は、校外で付き合う先の文学談義の友人と付き合いながら、ともすれば恋愛談義に走る輩、ネクラ、はみ出しぐみをわけもわからず、飛び飛びで掛け持ちすることになる。おそらく、一番中途半端で可哀相だったのは私自身だろう。
芥川龍之介に関しては、今だにそのページを開いたことはない。そう、私は文学談義の友人に影で反抗するため、ドフトエフスキーの「白夜」を読んだ。難しい文章にめげずに、一応、すべてに目を通せたのは、そんな反抗があったからかもしれない。



2002年06月24日(月)
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