ID:99799
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
[1220765hit]

■ブランドってものをもう一度振り返ってみる
僕はいわゆるバブル世代だ。
「他者」、いわゆるメディアによって、良いブランド、と既定されたものをとりあえず買っとけば大丈夫、という洗脳を受けて育った。
まあ、ロゴ代、にプレミアムを支払っていたわけだ。
その商品が優れているかどうかは二の次。
他者からどう見られるか、メディアでどのように評価されているか、がブランドの価値だった。

くっだらねー。

他者やメディアの評価なんぞ、気にせず、わが道を行け。
ブランドなんぞクソくらえ。
記号性なんぞにとらわれている場合じゃない。
「いいものはいい」、「悪いものは悪い」。
自分で判断しろ。

それが90年代以降。

80年代の後半までは、ブランドとはいわゆるラグジュアリーブランドであったり、DCブランドであった。
ロゴの価値が全て、だったのだ。
そこに語るべき物語性がついてりゃOK。
物語があるんだから、高くてもいいよね、プレミアム性があるんだから。
僕自身がブランドまみれの小僧だった。

ところが、90年代に入ってバブルが崩壊したあと様相は激変する。
製品が持つ本来の価値と価格が見合っていないものはクソ。
80年代にあれほど、差別化だの個性化だのと騒いでおきながら、そんなの別にどうだっていいじゃん、マニアックなことってオタクだよね。というのが90年代以降。
プレミアムだとか、物語だとかにこだわらず、ただただ実質的価値を追い求めているのが現在。
余計な付加価値、プレミアムにお金を払う、イコールオタク。
ラグジュアリーブランドであっても、本来なら尊敬をうけるべき記号性であっても、それがニッチであっては、ならない。
消費者としては、最低限の実質的価値(ROI)だけを求め、記号性や文化性に対してはアホでいなくてはならない。
ブランド受難の時代だ。

先日から、トヨタがレクサスブランドを展開をはじめた。

痛い。

本来のブランド価値からすれば、レクサスはプレミアムブランドであるはずなのだけれど、現実は甘くない。
レクサスのロゴは、トヨタによるレクサスブランドの本格展開より以前から出回りまくっている。
深夜の大黒ふ頭だとか、高速道路の御殿場付近のSAを見てみろ、以前から金色のレクサスロゴが出回っているぞ。

中古のセルシオだとか、ハイエースだとか、エスティマに金色のレクサスロゴ。
金色のロゴをつけたセルシオはローダウン仕様。
ハイエースやエスティマは、名古屋近辺まで近づくと、金のシャチホコのごとき羽が生えている。
ハイエースやエスティマはレクサスブランドには存在しないのだけれど、深夜の大黒ふ頭や、御殿場近辺のSAには溢れかえっている。
爆音の浜崎あゆみ。
ドライバーはタオルをハチマキ状にアタマに巻いている(家系のラーメン屋のにいちゃん風。味薄め、麺固め、油少なめと言いたくなる)。
髪の毛が金色の奥さんらしき女性に、髪の後ろだけを伸ばした幼児。

僕のアルカンタラ貼りの窮屈なレカロのシートはダイヤルをグルグル回さないと倒れない(以前乗っていたボルボもダイヤルでしかシートが倒れなかった。これはヨーロッパ車の共通仕様?)。
奴らのレクサス「仕様」はレバーでシートがパタッと倒れてベッドみたいになって、深夜の高速道路での仮眠も快適なんだろうな・・・。

僕にとっての、レクサスブランドは、展開前から崩壊している。

更に追い討ちをかける。
レクサスブランドの展開にあったって、トヨタは多くの施策を試みた。
が、しかし。
レクサスブランドの車種は、新規車種ではなく、既存のトヨタの車種の改良版。
どこがどう改良されたかは別にして、素人からすれば、既存車種にレクサスロゴをつけただけに見える。
なのに、100万円とか200万円の値上げ!
実質も変わっているのかもしれないのだけれど、個人的にはロゴ代に100万円も200万円も払いたくない。
個人的にはSCを買おうかな、と検討していたのだけれど、レクサスブランドのロゴをつけているクルマに乗っている事によって、却ってマズいイメージが醸成されるかも知れない。


[5]続きを読む

09月13日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る