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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■僕らはもう戻れない
コンサルタントは考えることのスペシャリストだ。
ひたすら考えつづける職業。
考えて考えて考え抜くことが宿命づけられている。
あんまり考えすぎると、脳は悲鳴をあげる。
オーバーヒートする。
コンサルタントだからといって、超人的に頭が切れる、という事はない。
同じ人間なんだから、一般人とそれほど違いはない。
生物学的に脳がとんでもなく優れている、なんてことはあり得ない。
後天的に、数学力や論理力を徹底的に鍛えているからこそ成立する職業だ。
求められている能力が数学力や論理力なので、文科系の職業でありながら、必然的に理科系のほうが向いている。
僕は超のつく完全無欠の文科系である。
数学力や論理力が決定的に欠落している。
一般的に見てもそれほど優れてはいない。
それに加えて記憶力もたいしたことがない。
僕の脳は、決して高性能ではない。
ただ、耐久性は高い。
アタマの回転はたいしたことがないけれど、ひたすら愚直に考えつづける事は得意だ。
直観力みたいなものも、優れている、とは思う。
だけど、本来必要とされる数学力や論理力は弱い。
僕が生きていられるのは、コンピュータやネットワークのおかげだと思う。
僕は、運良くこの時代に生まれた。
コンピュータを通して、外部記憶や他人の脳を共有し、活用する事に対する親和性は高い。
自分の脳の拡張として、外部記憶、他者の脳を共有する。
僕自身の脳は、ロクでもない代物なのだけれど、膨大な外部記憶や、優れた他者の脳を自分のなかに取り込み、一体化してしまう能力は、誰にも負けない。
僕の脳は、コンピュータやネットワークと一体だ。
気がつくと、僕は自己と他者の境界線が曖昧になっていた。
どこからが自分の本当の記憶で、どこからが他者の記憶なのか?
いわゆる精神疾患と同じ状況が日常化している。
現代は、「個」が「個」でありつづける事が難しい時代でもある。
コンピュ−タやネットを通じた外部記憶や他者の脳の活用には、いくつかの側面がある。
もともとは、人類が言語を獲得したときから、始まった。
言語を通じて口伝、という原始的なカタチで、他者との意識の共有は始まっている。
次に、洞窟の壁画にあるような絵文字を書くようになり、意識は、時間を超えることができるようになった。
そして、文字の獲得。
文字により、記憶の共有、保存性は飛躍的に高まった。
グーテンベルクの活版印刷の発明は、記憶の共有、保存性を飛躍的に高めた。
時代は移り、電子計算機、コンピュータの発明により、情報処理の力も得た。
現代は、その延長線上ではあるのだけれど、ネットワークの進化により、飛躍的な進化を遂げている。
ほんの数年間の間に人類の脳は、かつて経験したことのない拡張性を得た。
検索エンジンによる瞬時の外部記憶へのアクセス。
メールやメッセンジャーによる他者の脳の自分への取り込み。
コンピュータやネットワークの日常化は、人類の脳のありかたを飛躍的に向上させた。
僕のように、記憶力も数学力も論理力もない人間がコンピュータやネットワークのアシストにより、数年前からみると超人とも言える能力を獲得することとなった。
素の僕は、好奇心が異常に強いだけだけの、ただの人である。
僕の所属するファームで、スタンドアローンの状態で、学力試験でも受けてみれば、たぶん僕は最下位だろう。
スタンドアローンの僕は、ただの一般人だ。
テクノロジーの恩恵で、コンサルタント稼業を続けていられる。
僕の存在はいわゆるハブである。
外部記憶や他者の脳が僕にアクセスする。
僕自身も自分の脳をオープンソースとして開放する。
僕も外部記憶や他者の脳に積極的にアクセスする。
スタティックな外部記憶にも他者の脳にもリアルタイムでアクセスし、自分のなかに取り込む。
僕は、記憶力すらマトモではないので、PDAやOutlookを通じて、スケジュールやToDoを管理している。
今、何をすべきか、ですらテクノロジーの支援を受けなければ、マトモに管理できない。
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07月19日(火)
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