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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■非戦、非競争主義 その2
僕の生き方が大きく変わったのは、1年半ほど前。
僕は、非戦、非競争主義者のつもりで生きていたつもりだった。
でも、いつの間にか最も競争の激しい世界に巻き込まれていた。
僕は、3時間の睡眠で働き、戦い続けていた。

午前4時に就寝する生活が日常になっていた。
結果的に僕はマトモに歩く事すらできなくなり、転倒して骨折した。
心療内科ではなく、外科に行った。
外科で治療を受けて、そもそもの原因が自律神経がぶっ壊れていることがわかった。
3時間睡眠が日常な人間の身体が正常であるはずがない。
人間ドックでは、いつもA評価だった。
僕は鉄人かも、という驕りもあった。
でも、僕はまっすぐに歩けなかった。

外科から心療内科に移り、医師は即座に休職すべきだ、と言った。
このままだと死にますよ。
会社側からも、すぐに休職すべし、との指示が下った。
うつ病などの疾患は、本人がごまかしていれば、表面化しづらい。
僕は、骨折していて、外科的にも異常が表面化していた。
誰がどうみても異常だった。
原因を追求していくと、極端な睡眠不足に行き着いた。
人間として、生物としての限界を超えていた。
僕は、ただただダラダラと遊んで暮らす休職生活を始めた。

休職して暇になってしまうといろいろと気付いた。
暇なハズなのに、全く退屈しない。
一人でいてもじゅうぶんに楽しい。
異常な環境のなかで生きてきた僕が、忘れていた事をたくさん思い出した。
僕は音楽が好きだったのだな、僕は絵を描く事が好きだったのだな、僕は文章を書くことが好きだったのだな、僕はクルマやバイクが好きだったのだな、僕は本を読むことが好きだったのだな、僕は映画を見ることが好きだったのだな。
時間が取れないせいで、忘れていた感覚だった。
仕事が趣味なのではない、趣味を強引に仕事にしているのだ、と僕は主張していた。
でも、趣味を仕事にしている、といいつつも、多くのものを忘れていた。

僕はかなりヌルい環境で育った。
ゆとり教育世代ではないのだけれど、必死になってお勉強をしなくてはならない、という世界ではなかった。

僕が子供の頃、夕食は夕方の6時だった、
夕方の6時に家族が揃って食事をする。
僕の父は高校教師、母はピアノ講師。
父は、授業が終わったらすぐに帰宅し、仕事は自宅に持ち帰っていた。
母は、自宅で夕方までは子供を対象にピアノを教え、夕食後は音大受験の高校生に受験対策のレッスンを行っていた。
子供の頃の僕にとって、夕方の6時に家族が揃っていることは、日常の風景だった。
夕方の6時に家族が揃って食事をして、その日にあったことを話す。
7時頃から僕は、テレビを見る。
両親はそれぞれ自宅で仕事をする。
今の時代ではなかなか想像しづらい平和な家庭だ。

僕は夕方の6時に家族が揃って食事をする、という世界で育った。
それが僕の原風景なのだ。
僕は独身だけれど、家庭を持ったとして、そのような家庭が築けるか、というと120パーセント不可能だろう。
日付が変わるまでに帰宅できればラッキー、といった家庭にしかならない。
週のうち何日かは仕事で徹夜して帰宅しないだろうし、休日も仕事に出かけていくだろう。
子供はグレるだろうし、夫婦仲はむちゃくちゃになり、あっという間に家庭は崩壊するだろう。
僕の家族の原風景と今の僕の置かれている環境の落差はとてつもなく大きい。
僕が未だに独身である理由はそこにあるのかもしれない。
両親は、戦う事、競争することを僕に強いてこなかった。
僕は、平和な世界で育った。

僕は、たまたまお勉強ができた。
理科や算数は僕にとってゲーム機で遊ぶことと同義だった。
パズルで遊ぶ感覚で、理科や算数のお勉強をしていた。
本を読むのが好きだったので、国語や社会の成績も良かった。
小学生の僕にとっては、お勉強は遊びだった。
遊びだから熱中する。

小学校時代の途中で、僕の特異な性向に担任の教師が気付いた。
担任の教師は、僕を自宅に呼び、特別授業を行うようになった。

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07月17日(日)
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