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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■メッシュネットワークとしての脳と専用線構造の身体の乖離
今から1年前、僕の脳と身体は乖離した。
脳が正常に機能しているのにもかかわらず、身体が思うように動かなくなった。
現在は完全に正常に戻っているのだけれど、自分の身に実際に起こった現象であるだけに、原因究明に興味はつきない。
どうして僕の脳は最後まで破綻せず、身体だけが破綻したのだろう?
ネットワーク理論について調べているうちに、僕に起こった現象について説明できるような気がした。
かなり妄想の強い仮説なのだけれど、ひとつの仮説として考えてみる。
脳は、メッシュ型の構成である。
僕の脳の各機能は、メッシュ型のネットワークで構成されている。
1対1ではなく、n対nの構造。
インターネットの構造と同様である。
構造上、破綻しにくい。
一方で、僕の身体と脳を繋ぐネットワークは、n対nの構成を取っていない。
僕の脳と身体は、脊髄の神経を通じて、コネクトされている。
脊髄の神経は、n対nのメッシュネットワークではない。
イメージとしては、1対1に近い。
インターネットに対する専用線ネットワークとして対比することができる。
n対nのメッシュ構成を取る僕の脳と、1対1で構成された僕の身体。
メッシュ構成の僕の脳は、そう簡単には破綻しない。
インターネットは、冷戦構造のなかで、核攻撃でネットワークが部分的に破壊されても全体としては機能しつづけることを目的として作られた。
僕の脳は、インターネットと同様の構造と言えるかもしれない。
だけど、脳と身体を繋ぐネットワーク構造は、イメージとしては1対1だ。
1対1構造で接続されたネットワークは、トラフィックが集中すると破綻する。
特定のノードにトラフィックが集中する事により、サーバーがダウンする。
脳と比較すると、脳と身体の乖離は構造的に起き易いのかもしれない。
身体の神経ネットワークは、脳よりも構造的に破綻し易いのではないか、と思う。
僕は、当初、自分の脳が高出力であるがために、身体がついてこれなくなった、と思っていた。
だけど、脳と身体の神経ネットワークの構造そのものが、異なっているのではないか、とも感じる。
脳と身体の乖離は、出力の違いによって引き起こされたのではなく、神経ネットワークの構造上の問題ではないか、と。
n対nのメッシュ構成の僕の脳と、1対1構造の身体。
それが、統合体としての僕の破綻の原因ではないか、と。
かつての人類は、脳と身体のバランスを取って、うまく生きてこれたのだろう。
高機能で耐性の強い脳と、進化から取り残された身体。
それでも問題は起きなかった。
僕らは、ネットによる外部記憶、他者の脳との強結合というかつてない急速な進化の過程に、たったの数年の間に晒された。
物理的な脳、身体はそのままに、僕らの脳はネットによって実質的に急激に機能拡張された。
たかだか数年間の間に異常とも言える進化を遂げた。
人類史上はじめて遭遇する急速な進化だ。
人類の機能拡張による機能不全、適応障害は、一般的には脳に発現する。
「うつ」であったり「そう」であったり。
極端な環境変化に脳は、適応できない。
「うつ」か「そう」か。
僕の周辺を見渡す限り、「うつ」が圧倒的に多い。
「うつ」が蔓延している。
それに対して、僕は「そう」になった。
ガンダムシードでいうところの「種割れ」である。
限界に晒されて、種が割れた。
僕の脳は、身体能力を超えた。
医師の診断書には、「軽そう」と書かれた。
僕はコーディネイターではなく、ナチュラルなので、脳が「種割れ」しても身体は置き去りにされた。
ネットの異常進化により、人類は「神」の予想を超えた進化の環境に晒された。
「神」は人間のアーキテクチャーを設計したとき、人の意識がネットワークで共有化され、共同して動作することを想定していたのだろうか?
人類のアーキテクトとしての「神」は書物による脳の外部記憶化や、オーラルコミュニケーションによる他者との意識の結合は意識していたと思う。
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05月27日(金)
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