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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■マズローの第6の欲求階層
僕はあちこちで見かけるマズローの欲求段階説を引用した文献を見かける度に、何だか「違和感」があるなあ、と感じていた。
マズローの欲求段階説は、人事施策やマーケティングにも活用されていることがある。
「違和感」などと書くのは、欲求段階説は間違ってはいないのだろうけれど、僕自身には当てはまらないな、と思うからである。
マズローは欲求階層を5段階で表現しているけれど、僕にはその上、すなわち第六の欲求階層があるような気がする。

マズローの欲求階層論では、@〜Cの欠乏欲求があり、そのうえに成長欲求であるDが存在するとされる。
@生理的欲求(人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求)
A安全の欲求(人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求)
B所属と愛の欲求(他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求)
C承認の欲求(自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求)
D自己実現への欲求(自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいという欲求)

僕が違和感をおぼえるのは、僕自身は@〜Dの欲求はほぼ満たされている、と感じるからだ。
ただ、僕の欲求が満たされてしまっているのは、僕の欲求レベルが低いからである。
各階層の欲求レベルは人によって大きく異なるだろう。
同じ欲求であっても人によって、求めるレベルが異なる。
僕はその欲求レベルが低い。
僕の欲求レベルの低さは、特殊例だと思うのだけれど、マズローの5段階の欲求階層の上位欲求があるように思えるのである。
僕自身は、マズローの欲求階層はある程度満たされている。
マズローは、「満足された欲求は、もはや行動を動機づける力をもたない」とも言っているが、僕は欲求が満足されていながらも、行動を止めない。
なんだか僕の欲求は他のところにあるような気がする。
質というか、別の次元というか、階層というか。

マズローは自己実現的な人間の例をあげている。

@「現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つ」こと。
A「自己、他者、自然に対して受容的態度」をとること。
B「自発性、単純さ、自然さ」を持つ。
C自己中心的ではなく「課題中心的」である。
D「孤独、プライバシーを好み、欠乏や不運に対して超然」としている。
E「文化や環境からの独立」し、意志をもった、能動的人間である。
F「認識が絶えず新鮮である」こと。
G「神秘的経験−至高体験」を持つこと。
H「共同社会感情」を持つこと。
I「心の広い、深い対人関係」を持つこと。
J「民主的性格構造」を持つこと。
K「手段と目的の区別、善悪の区別」が判断できること。
L「哲学的で悪意のないユーモアのセンス」を持つこと。
M「創造性」を持つこと。
N「文化に組み込まれることに抵抗し、文化を超越」すること。

自分自身を振り返ってみると、全てとはとても言えないけれど、あてはまる項目は多いように思う。
でも、僕が自己実現を果たした人間か?と自問すると、それは違う。
僕の欲求が他のところにあるような気がするのだ。
僕は満足していない。

僕の欲求の特殊性は何なのだろう?
自分自身を考えてみる。
@「自己」に閉じた欲求の実現ではなく、エコシステムそのものの階層を上げたいと考えている。
A「好奇心」がドライバーになっている。

マズローも晩年には「自己超越への欲求」をも想定しはじめていた、とされる。
ネットをうろうろしていると、マズロー欲求階層論の最上層である5段階のピラミッドの上に6段階めが存在したのではないか、という記述を見つけた。
そこには、「コミュニティ(共同体)発展欲求」と書かれていた。
地域社会や国家そして地球全体など、自分が所属するコミュニティ全体の発展を望む欲求である。
僕の@の欲求とほぼ一致する。
マズローが欲求階層を5段階で止めてしまい、6段階めである「コミュニティ(共同体)発展欲求」を書かなかったのは、マズローの晩年であった冷戦時代に共産主義者というレッテルを貼られることを恐れたのではないか、という。


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04月13日(水)
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