ID:99799
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
[1220767hit]
■「ファシズム」と「資本主義」と「アナーキズム」
僕は「資本主義者」であり、「民主主義者」ではない。
一方で、真に正しい政治システムは何なのだろう、と考えると答えがない。
少なくとも僕は「民主主義者」ではない。
僕は愚民の多数決で意思決定がなされる民主主義を信じてはいない。
「民」の多くは愚かだ。
愚かな「民」の多数決によって運営される「民主主義」には、賛同できない。
僕は自分を「資本主義者」であり「民主主義者」ではないと主張する。
「資本主義」と「民主主義」は似ているようで、全く異なる。
資本主義は持てる者、力のあるもの、能力があるものが権力を握る。
民主主義は、持つ持たざる、能力にのあるなしに関わらず、平等に権利の配分を保証する。
民主主義は、権力を平等に配分するシステムだ。
僕は、そこに民主主義の危うさを感じる。
平等に配分された権力が、正しい選択を行なえるとは思えない。
企業社会、株式会社のガバナンスは民主主義ではない。
資本主義だ。
それに対して、政治社会は民主主義。
現在の日本には、このダブルスタンダードが共存している。
僕は企業社会に属した資本主義者だ。
僕は、株式会社、資本主義のシステムは人類の最も偉大な発明のひとつだと信じている。
企業社会は、資本主義システムのうえに成立しているのにも関わらず、政治システムは資本主義ではない。
なぜだ?
僕には理解できない。
どうして、納税額が全く異なるそれぞれの国民が、選挙の際に同じ一票しか投じる事ができないのか?
どうして、収入の多い人間は、累進課税により、懲罰的とも言える多くの税金を納めなくてはならないのか?
僕には理解不能だ。
どうして、結果の平等を保証しようとするのか?
僕が可能性を見出すのは、「ファシズム」と「資本主義」と「アナーキズム」だ。
「ファシズム」、「資本主義」、「アナーキズム」は言葉として、忌み嫌われる。
これらの思想は、検討されることもなく、最初から否定される。
本当にそれは正しいのか?
「ファシズム」、「資本主義」、「アナーキズム」は危険思想とされている。
本当に「民主主義」が究極の人類のガバナンスなのか?
僕には、そうは思えない。
「ファシズム」はヒトラーを彷彿させる。
だが、ファシズムは、たまたまアドルフ・ヒトラーという暴走した人物がいただけであり、ファシズムそのものが否定されるものではない、と思う。
カリスマが統治する世界が存在してもおかしくはない。
キリストだか、ムハンマドだか、ブッダだか、よくわからないけれど、カリスマ、もしくはカリスマの遺伝子による統治は選択肢とし否定できない。
「資本主義」は、一部の資本家のみが富を独占する、とされる。
だが、資本主義は、市場の原理、神の見えざる手が常に抑制力として作用する。
完全なる合理性が暴走を抑制する。
「アナーキズム」はテロリズム、混沌をもたらす、という。
だけど、「資本主義」と「アナーキズム」が組み合わされれば、そこでは、突然変異の発生と淘汰のプロセスが健全に機能するのではないか、と思う。
「ファシズム」、「資本主義」、「アナーキズム」は現代社会において、否定され続け、嫌悪感をもたらし続けている。
だけど、本当にそうなのか?
完全に否定できるものなのか?
僕は、「ファシズム」、「資本主義」、「アナーキズム」を否定できない。
僕は、民主主義者ではない。
民主主義は政治システムとしては破綻していると思う。
民主主義は、第二次世界大戦の反動で生まれた過渡的なシステムでしかない、と思う。
戦後60年を経た現在、民主主義はそろそろ再検討されるべきだ。
これから何十年かに渡って、民主主義は存続するだろう。
だけど、僕には民主主義が最終形態、最も合理的な政治システムであるとは思えない。
僕は政治家ではない。
政治にはいかなる影響も与える事はできない。
でも、経済の世界では、「ファシズム」、「資本主義」、「アナーキズム」が台頭するだろう。
[5]続きを読む
03月26日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る