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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■僕らはもう戻れない
記憶力は外部記憶に頼っているし、他者の脳ですらも自分の脳に取り込む。
センサーネットワークにより、地球環境すらも自分の延長線上になりつつある。

「個」というスタンドアローンである存在は、もはや意味をなさないのかもしれない。
自分にとって都合の良い情報のパッチワークが僕自身なのかもしれない。
僕は、僕であることを証明する手立てを持たない。
僕の意識は、すでに消失してしてまっているのかもしれない。

僕が「個」を維持し続けることは困難だ。
全体主義とは言わないけれど、僕は、自分だけの意思では生きていない。
借り物の記憶。
どこまでが自分のオリジナルの記憶で、どこからが借り物の記憶だかの境界線は定かではない。
曖昧だ。

人類の歴史上では、一瞬でしかないたかだか数年間で、僕らは生物学的には何らの進化をすることはなく、コンピュータやネットワークにより大きく変貌を遂げた。
加速を続ける僕たちはどこへ向かうのだろう?
単なるテクノロジーの進化ではない。
僕たちの身体は、人類としての質的変換に晒されている。
そこには、新たなテクノロジーは必要ない。
現在のテクノロジーの延長線上にある。

だけど、テクノロジーは僕らを外部から進化させ続ける。
僕らはどこまで、外部環境の進化に順応できるのだろう。
きっとどこかで破綻を来たすのだろう。

脳で処理すべきこと、外部記憶で処理すべきことの切り分けを全ての人ができるとは思えない。
僕は、自分の脳で処理すべき事、コンピュータで処理すべき事、他者の脳で処理すべき事のバランスを何とか保ってきた。
それは、どこまで維持できるかはわからない。
脆くて危うい。
外部記憶装置の活用はそれほど難しくはない。
多くの人々が順応するだろう。

だが、他者の脳の活用は一筋縄ではいかない。
ネットを通じているとはいえ、その先には感情をもった生身の人間がいる。
そして、それは一対一ではなく、1対n、もしくはn対nのコミュニケーションである。
数百人、数千人とのランダムな脳のぶつかり合いに、個人の脳は耐え切れるのか?
それは、脳の処理能力から言って、困難を伴うだろう。
でも、僕らはそれを避けることができない。
情報が一方的に発信される時代は過ぎ去り、リアルタイムにインタラクティブにやり取りされる。

僕らはもう戻れない。

07月19日(火)
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