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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■サイボーグ妄想
僕がたまたま、これから人類に起きるであろう脳と身体の乖離を、少し先行して体験したに過ぎない。
加速しつづけるテクノロジー、情報化、脳とネットワークの緊結合化。
脳が処理すべき情報量は、幾何級数的に累増している。
僕の大脳の処理機能は、必要な情報を処理しきった。
だが、身体は、それにはついてこれなかった。
真っ先に、自律神経が破綻した。

大脳の処理機能は、脳の外部化に対しても、対応できるのだけれど、身体は対応できない。
身体のなかでもコンピュータに例えるとバスである自律神経は、大脳と較べると帯域幅が狭い。
無限に拡張された大脳、かつて人類が使っていなかった身体のなかの大脳の処理能力をフル活用しようとすると自律神経がボトルネックとなる。
僕は、脳にも精神にも異常が認められなかったが、自律神経がオーバーロードとなり、身体がブローした。

僕は身体、自律神経は、肉体として処理能力に限界があるので、対処方法としては、大脳の処理能力を抑えるしかない。
大脳に薬物で強制的にリミットをかけることにより、自律神経、身体にかかる負荷を低減させる。

僕は、事実上のサイボーグではないのか、という妄想から逃れる事ができない。
自分の大脳、身体をケミカルを使用することでしか制御できない。
大脳と身体の乖離を避けるためには、ボトルネックでもある身体、自律神経に対し、大脳の処理機能を抑えることでしかバランスが取れない。
僕の大脳の処理を無制限に開放してしまったとしたら、身体、自律神経が先に破綻する。
「神」は、人のアーキテクチャーを設計する際に間違いを起こしたのではないか、と思う。
強力な大脳と下等動物と何ら変わらない身体、自律神経。
現代は、大脳の異常進化の時代だ。
かつては脳と身体は不可分であり、自然のなかで脳と身体はバランスを保ってきた。
だが、現代は脳と身体のバランスが崩れている。
情報処理を行なう脳ばかりが必要とされ、入出力を担う身体の相対的価値は下がっている。
僕は、脳ばかりを使用し、脳と身体の連携させるための訓練を怠ってきた。
自然のなかで過ごす事、人間や自然を相手にして戦うスポーツ。

医学的には僕は病気であり、治療中だ。
でも、それは大脳を最大限活用することではなく、大脳の処理能力をボトルネックである身体、自律神経にあわせてセーブしましょう、という治療である。
せっかく獲得した脳の拡張に対し、それを古い身体に合わせるしかない。
脳と乖離している身体は、筋力ではなく、自律神経なので、身体を鍛えても改善しない。

既に顕在化している僕の大脳の処理能力の飛躍的向上に、身体や自律神経を合わせることができない。
ネットにより外部記憶、他者の脳を共有化できる力を得た僕の大脳は、薬物によって抑制せざるを得ない。
人類の進化の最前線にいるかもしれないのに。
いや、僕の脳や身体に起こったできごとは、神の意志に反しているのかもしれない。
身体を置き去りにし、脳だけを進化させてきた僕は、もはやマトモな人間ではないのかもしれない。
自然を無視し、デジタル情報ばかりを過剰摂取し続けて来た報いかもしれない。

ネットによる大脳の異常拡張に対して、一万年前に神が創りたもうた旧バージョンの身体に、脳の出力を抑制することによりレベルを合わせる。
僕のバスである自律神経は、一般の人と同じなので、僕の大脳の拡張に身体は耐えられない。
僕の脳と身体の乖離は、脳にリミッターをかけることにより対処されている。
僕の脳の処理能力にはまだまだ余裕がある。
でも、身体はついてこられない。

脳の異常進化と置き去りにされた身体の乖離は大きい。
いっそ脳だけ残してサイボーグになってしまったほうが良いのではないのか、という妄想が僕のアタマをよぎる。
だが、それには、身体の拡張ではなく、バスである自律神経の帯域幅を増やさなくてはならない。
アーキテクトである「神」の人類に対する設計は、大脳はオーバースペックであり、身体は大脳に対して脆弱だ。
なかでもバスである自律神経の帯域幅は狭い。
シナプスの反応は、大脳の指令に対して、あまりにも遅い。

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04月29日(金)
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