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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■いぬぶしは「太陽の党」なのか「次世代の党」なのか?
あまりの忙しさにかまけて、ついに1ケ月半もブログをサボってしまった。Facebookに投稿しているので「書いたつもり」になってしまっているのも一因である。久しぶりに書くことをお許しいただきたい。
さて、今月のエポックは「太陽の党」結党(正確には再復活)だろう。たちあがれ日本が太陽の党に党名変更し、すぐさま日本維新の会と合流し「解党」というのがマスコミ的流れだった。ところが、太陽の党は営々と残っていたのだ。私も区議会時代の政党支部として「太陽の党大田区第一支部」を持っており、毎年ゼロ円の収支報告を選挙管理委員会に提出していた。
太陽の党が、存続していた大きな理由は「借金」である。たちあがれ日本から太陽の党と、変遷するなかで金融機関から活動資金を借りていた。当然、平沼党首はじめ重鎮が連帯保証をするが、返済はしなければならない。太陽の党の収入が途絶えた平成23年12月以降も、平沼党首、藤井代議士らが返済を継続していた。
どこぞの方のように、○億円を貸してくれる方がいたわけでもないのに、チャーターメンバーは返済を続けてくださったのだ。ただ、そのためには、主債務者たる「太陽の党」は存続しなければならない。
そして、日本維新の会の分党騒動が起こった。結いの党という、旧太陽の党とは政策において「対立軸」とも言える政党と合流しようとする、大阪側にはなんとしても与しえない旧太陽を中心とするメンバーが分党をしたのが、次世代の党である。当初、7〜8名だろうと言われていた国会議員が23名にもなったことは嬉しい誤算である。(個人的には、来るべき人が去り、去るべき人来た、ということも若干あるが…まあ、仲間が多いことはいいことである!)
そして、田母神俊雄元航空幕僚長の田母神新党宣言!さらには、無所属になっていた西村真悟代議士の去就に注目が集まったのだ。
橋下徹氏の慰安婦発言を擁護しようと代議士会で発言した西村真悟代議士、いささか報道陣の前で「本当のこと」をしゃべりすぎてしまった為、除名処分となってしまった。しかし、旧太陽の党メンバーとは、思想的にもきわめて近い西村代議士に対しては、平沼党首を筆頭に「なんんとかせにゃいかん」という想いがあった。また、田母神俊雄氏が都知事選挙に出馬を決意したのは、石原慎太郎元知事の後押しがあったからだった。
とはいえ、ノーバッチの田母神俊雄元幕僚長が次世代に入党しても、単なる「一兵卒」の候補者にすぎない。歯に衣を着せない発言で有名な西村真悟代議士を迎えるには、いささか時期早尚という声もある。では…と急浮上したのが「太陽の党」復活だった。
旧太陽の党の事務方は、極めて優秀な方揃いだ。大阪と合流した際も、事務手続きは旧太陽が主導したぐらいだ。そして、今回の復活劇は、この優秀な事務方と、旧太陽の国会議員の先生方の壮大なるコラボの産物である。
(テニアン島のトーチカ前で西村先生と)
なんで、たかだかの前区議会議員で、次世代の党の支部長である私がかかわったのか…実は、議員になり立てだった頃から、私は西村真悟代議士の私塾である「西村塾」で教えを乞うていた。また、さまざまな活動で西村先生とは一緒に行動をしてきた「お師匠さん」である。
(田母神俊雄氏の出版記念パーテイで)
また、田母神俊雄元航空幕僚長とは、元自衛官、予備自衛官の上司(府中基地)、さらには、都知事選挙の事務局次長という関係であり、田母神氏の私塾「田母神道場」の師範代でもある。つまり、新太陽の党と、旧太陽の党のそれぞれに、きわめて親しい(というか勝手に身内だと思っている)関係にあるのだ。
(記者会見の準備中)
そこで、今回の「結党劇」では裏方を担当させていただいた。仔細は、あまり書けないが、兎に角、歴史に残る公党復活に主体的に関与できたことは、本当に光栄なことだと関係の方々に感謝、感謝である。また、これが、旧日本維新の会だったら、「除名処分」かもしれないが、次世代の党では、支部長のまま太陽の党に関与することをお許しいただいていることも、ありがたいことだ。
(我が事務所のPCスキルの高い秘書さん)
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09月30日(火)
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