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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■拝啓 小沢民主党代表 (産経新聞社 正論10月号より)
 小沢民主党代表の大連立から辞意表明、撤回とここ数日間、日本が振り回された。ここに正論10月号に寄稿した拙文を再掲し、改めて今回の騒動の真髄を考える参考にして頂きたい。原稿用紙30枚分と長文のため2日間にわたることをお許し願いたい。また、PDFにしろ、というお叱りも頂きそうだが、なるべく多くの方にお読みいた頂くため、とご理解願いたい。

あなたの変身は、国民を裏切っていませんか
             自由党代表  犬伏 秀一

 参議院選挙で圧勝し、政局の主導権を得た時の人であるあなたに、このような僭越なお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。私には、今のあなたがかつての小沢一郎と同じ人物だとはどうしても思えないからなのです。
 
《犬伏氏は昭和31年東京都生まれ。現在大田区議。与党が役所の政策決定を牛耳り、野党は官公労の既得権維持に走る。55年体制下の地方議会では、こんな光景が当たり前だった。犬伏氏はこうした構図に果敢に挑み、役所や学校の癒着体質を糺す活動を展開してきた。公務員や教員から目の敵にされたが、こうした独自の活動で当選3回を果たした異色の地方議員だ。
一方で南京事件を不当に歪めて描いた本宮ひろし氏のマンガ「国が燃える」に憤慨。抗議活動を展開し、連載休止に追い込んだり、元航空自衛官だった経験から、現在も予備自衛官であるなど、地域エゴに染まらない国家を見据えた活動でも知られる。

 そんな犬伏氏にとっての政治の原点は、小沢一郎との出会いだ。小沢氏に心酔し、氏が掲げる「日本一新」に集った。ところが、自由党はやがて解党。しかし、犬伏氏は、小沢氏が民主党に合流し、党を去った今も小沢イズムを掲げ、たった一人で自由党の旗を守り続けている、全国でただ一人の自由党議員(代表)だ。本稿は参院選に勝利し、これから政権奪取をうかがう、かつての「師」小沢氏に対する公開質問状≠ナあり、小沢一郎論である》

 私があなたと初めてお会いしたのは、平成6年の春でした。大田区選出の都議会議員、松原仁氏(現民主党衆議院議員)からのお誘いで参加した新生党大田支部設立大会の席です。その席であなたが語った「国を憂いる心」に、私は大いに感動し、支部常任幹事を即座にお引受したのです。しかし、あなたの講演の後に登壇された「新生党第一期区議会議員候補者」の皆さんは、あまりにも弱々しく、私はそのギャップを松原都議にぶつけたのです。すると、翌日から松原都議から私への「区議出馬攻勢」が始まりました。そんなに言うなら、お前(私)が区議選に出ろ、とおっしゃるのです。その頃私は、年商10億円を超える旅行会社の経営者でしたので、何度もお断りしましたが彼の攻勢は止りませんでした。そこで、平成6年8月、ついにお受けすることに致しました。それは、松原都議の執拗な口説きに負けたのではなく、小沢さん、あなたの「国を変える」思いに賭けようと思ったからなのです。
 
 特に感銘をうけたのは「全国を300の市」に再編成し、身近なことはすべてこの「基礎的自治体」に行わせるとの、地方分権基本法構想でした。権限も財源も地方に移し、国は必要最小限の関与しかしない。さらに都道府県を廃止し、一層制の地方自治、という発想は、今でこそその一歩を踏み出していますが、当時はあなた以外には誰一人として言い出さなかったことです。
 
 決断した翌日から「新生党」の名刺を持ち、区内を歩き始めました。松原都議から教えられた選挙必勝法は「毎日駅頭演説6ケ月」。区議ならこれだけでいける、との、今振り返るとなんとも無責任なものでしたが、政治は素人の私は、その言葉を信じ、毎日駅前に立ちました。有権者には「新生党」の名刺はえらく評判がよく、自民党政治に不信感を持つ多くの良識派国民が、あなたの強力なリーダーシップに期待していることがひしひしと伝わってまいりました。
 

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11月08日(木)
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