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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■拝啓 小沢民主党代表 (産経新聞社 正論10月号より)
 正月明けに、運輸官僚出身の党所属国会議員とともに運輸省を訪問し、法律条文の解釈を説明し「なお、本件は小沢党首も了解していることです」と付け加えたのです。いささか無理がありますが「了解」と、あなたのトラの衣をお借りしました。すると、なんと1ケ月後の2月、大田区を通じ補助金内定の通知が届き、町会役員さんとともに、あなたのお名前の重みに感謝したものでした。当時、私は区議の候補予定者の分際でしたが、この事件を契機に、この地区での認知度は格段にあがり、8年以上たった今でも、新年会などで町会長の隣席は私の指定席となっています。ただ、後日、あなたの秘書さんからは「党首の名前を簡単に出すな!」と叱られましたが……今更ですが、本当にありがとうございました。

■小沢イズムの実践と自由党分裂の悲劇

 さて、その後行われた区議会議員選挙では、私は、新進党候補だった頃の倍以上の得票を頂き、初当選を飾ることができました。街頭演説や、選挙活動を通じて「小沢さんのところの政党か?だったら応援してやる」との声をたくさんかけられ、自由党を、そして、あなたを選んで本当に良かったと痛感したのです。区議になった私は、他の議員と会派を組まず、一人で「大田区議会自由党」を称し、あなたの持論である「日本一新」を目指して改革に努めました。特に『地方財政の10%を削減すれば、住民税所得税を3割減税できるし、消費税4%相当の財源が出来る』とのあなたの提案は、一般国民にもわかりやすく、今でも拝借しています。また、あなたが訴えていた教育改革の一環としての「新・教師聖職論」を実践するため、教育労働者を標榜する教員や、日教組や全教(共産党系)と戦い続けてまいりました。
 
 その結果、1期目を終わる頃には「お役人、教員の天敵」という、とても名誉ある称号を頂くことになりました。2期目の選挙は、経営していた旅行会社が同時多発テロの影響で倒産し、私自身も連帯債務の処理で自己破産すら検討した時期でしたが、そのことをあからさまに語ったことがかえってプラスに働き、当選者50名中9位で当選出来たのです。このことは「犬伏は、会社を潰してもうだめだろう」とウワサしていた人々には、脅威の目をもってむかえられました。当時私は「やっぱり一生懸命やった結果だ」と、内心いささか誇らしげでもありました。ところが、その好成績での当選は、小沢さん、実は、あなたのお陰だったことは、最近になってようやくわかったのですが、そのことは後ほどお話します。
 
 さて、初当選以来、私は自由党員として、自分で言うのもはばかられますが、必死に党勢拡大と、あなたの「日本一新」思想の普及に努めておりました。自由党東京都総支部連合会では常任幹事を、また平成12年の総選挙では、東京都連遊説隊長、翌年の参議院選も選対で働きました。悲しいかな比例選挙で当選した衆参国会議員の多くは、2期目当選時の私と同様、それが自らの力だ、と誤解されていたのは誠に残念でした。実は、自由党、いえ、小沢一郎という稀有な政治家の力で当選していたことは、その後、彼等が落選したり、党を移動してみないとなかなか理解できないものなのです。
 
 平成12年春には、あなたにとっても思い出したくない出来事がありましたね。「政策の実現が出来ないなら連立を組んでいる必要はない」と、自自公連立離脱を決断したあなたに、大臣や政務次官の椅子に恋々とし、与党に残りたい多くの議員が反発した、あの事件です。あなたは多分、26名(当時自由党所属議員は50名)もの同志が出て行くとは思ってもいなかったでしょう。それも、かつての盟友である西川太一郎氏、二階俊博氏、中西啓介氏の離脱には、さぞかし悔しく、残念だったことと思います。
 
 ただ、あなたの素晴らしいところは、議会内での政策論争以外では、決して人の悪口を言わないことです。あなたの元を去った多くの国会議員は、機会ある度に、あなたがいかにひどいかを発信していますが、あなたはそのようなことを口にされることはありません。きっと、それが品性のない私や彼等と、あなたとの人間的な器量の大きな違いなのでしょう。
 

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11月08日(木)
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