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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■一年間ありがとう!皇紀2675年が暮れ行く
え、え、え〜???田母神元幕僚長とは、空自府中基地での行事で総隊司令官時代に名刺交換をしたことがあり、部下思いのお人柄には惹かれていた。お断りする理由もない。平成26年1月から、都知事選挙本部に詰めることになったが、この事が実は、私の選挙の足を引っ張ることになるとは思いもよらなかった。
選挙は60万票以上を得たが、落選。多くの良い知己を得た戦いだったが、なかには田母神氏に敵対する勢力も現れたのだ。そして、田母神氏を養護する私にも刃を向けてきたのだ。いまさら反論する気にもならない、事実無根の内容をネット上に拡散された。
都知事選挙が終わり、6月。石原慎太郎氏と橋下徹氏が会談をして、石原グループと橋下グループが8月1日で分党することが決定されたのだ。嗚呼、だったら最初から一緒にならなければ良かったのに…と思う余裕もなく、党名変更の諸手続きに忙殺された。
さらいに、年末の大儀なき総選挙。誰しも負け戦とわかっていたが、公認候補として予定された支部長たる私が逃げるわけにはいかない。二度目の衆議院選挙への挑戦をした。結果は2万票あまりで落選。いままでの戦いで唯一、供託金没収(比例300万、小選挙区300万円)という屈辱を味わった。
供託金没収になると、供託金だけでなく、ポスター、チラシ印刷費、看板代、宣伝カーリース料、ガソリン代など、公費負担がすべて自費になる。こいつは本当に痛かった。
政治の場では、落ち込んでいる余裕などない。次の使命は、党公認予定の二人の区議候補者の選挙支援である。一人は選挙落選歴6回のベテランなので大丈夫だろう。人を介して公認依頼のあった方。おとなしくて、街頭演説もままならないので、朝ご一緒に駅前にたった。公認の最終決定をする幹事長面談の結果、ご本人から公認辞退の申し出があり、我が党からもう1名の公認をと党から依頼があった。
そこで、前出の秘書さんに出馬を懇願をしたが、受けていただけない。小、中、高のPTA役員を歴任され、人当たりもよく適任だと思ったのだが残念だった。
すると、松沢成文幹事長(当時・元神奈川県知事)に呼ばれ、党勢拡大のため、区議会議員として立候補してくれないかと尋ねられた。私の答えは、即座にNO!
松沢幹事長は、どうか支援者、地元に聞いてきて欲しいと引き下がらなかった。さっそく、古い支援者の方々にお集まりいただき、幹事長の意向を話すと意外や意外!
みなさん揃って「戻って来い」と。統一地方選挙1ケ月前の、今年3月22日に区議選再出馬を発表した。準備不足で「いぬぶしは落選」とウワサされていたらしいが、地元支援者のみなさんのお力で、区議選としては、自己最高得票で返り咲きを果たすことができた。
戻った区議会本会議での私の登壇では、共産党の議席から「なんで戻ってきたんだ!」とのヤジが浴びせられた。お前らと戦うためだぜ!
この間3年間の政党名変更は以下のとおりである。
たちあがれ日本⇒太陽の党(石原新党)⇒日本維新の会(石原、橋下合流)⇒次世代の党(石原、橋下分党)⇒日本のこころを大切にする党(中山代表提案)
この3年間、衆議院候補、公設秘書、都知事選挙と様々な、普通では得られない貴重な経験をさせて頂いた。この経験を肥やしに、区議会議員として大田区のため、人々のため自らの使命を自覚して、ぶれない政治活動を申年、年男のいぬぶしは繰り広げてまいる決意だ。
1年間のご支援、ご声援の深く感謝して大晦日のご挨拶にしたい。
12月31日(木)
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