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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■いぬぶし秀一の歴史VOL1(昭和31年〜)
昭和52年1月 帰国。大田区西糀谷4丁目に6畳一間のアパートを借りる。
同月 横浜市港北区の旅行会社、株式会社オリエント観光に就職。同年10月一般旅行業務取扱主任者合格
昭和53年 上智大学ソフイアコミュニテイカレッジ(社会人講座)入学。会計学、経営学を学ぶ。特に会計学、明治大学の後藤弘教授の授業は楽しくて、以降会社経営では税理士いらずだった。
昭和54年5月 同社退職 インターツアー株式会社設立(運輸大臣登録旅行業代理店業2687号)22歳 (運輸大臣登録旅行業の史上最年少)
この間、バブル絶頂期で、広告を出せばあたる、とにかく売れて売れて仕方ない時代だった。
「今夜こそ私が上よ!神戸の船旅(2段ベットの旅)」「新人類フライデーブアムツアー(金曜日の深夜発)」「シングルルームに二人でうふふ(クリスマスの宿泊プラン)」「ねるとん屋形船」等、じゃらん、AB-Roadなど旅行媒体誌で時代の寵児に。
NHK以外の全民放に出演。代表番組、地球発24時、男が泣かない夜はない、11PM、トウナイト等。
昭和57年 結婚
昭和60年4月 放送大学教養学部入学 第1期生 まさか卒業まで25年かかるとは思わなかった
昭和60年12月 自衛隊忘年会で遅参して残った席に座ると隣席が、都議落選中の松原仁氏(現民主党国会対策委員長)だった。同じ年と知り、後援会に入会。このことが後に人生を変える出会いになる。
ということで、29歳までをご紹介した。自分で書いていても波瀾万丈だったと思うが、実際のところ、本人はひょうひょうと暮らしていた感じである。
それでは、第二弾は明日に書いてみたい。乞うご期待。
01月02日(木)
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