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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■いぬぶし秀一の歴史VOL2(昭和60年〜)
 では昨日の続きの昭和60年以降をお読みいただきたい。

昭和60年3月 長男誕生

昭和60年6月 インターツアー竃{社ビル竣工(大田区糀谷駅前)

旅行業店舗6店舗 売上20億円 JTB代理店中売上10位(1位は近畿日本ツーリストだった)

昭和63年 航空自衛隊予備自衛官採用

平成元年 長女誕生

平成2年 ナムコワンダーエッグ(二子玉川)内にハンバーガーショップを明治サンテオレ(明治乳業子会社)と共に出店。月商1800万円

平成3年 明治サンテオレ糀谷店開店 日商60万円

平成6年 松原仁都議会議員の誘いで新生党(小沢一郎党首)大田支部常任幹事就任

同年 政策学校一新塾(大前研一氏主宰)都議養成科入塾

平成7年 大田区議会議員出馬(新生党が新進党へ改編)落選

この頃より、北朝鮮に拉致された日本人を奪還する署名運動、足立16中の人権侵害教員糾弾などの運動に関わる

平成11年 大田区議会議員初当選(自由党 3254票)

平成13年9月 同時多発テロの影響で旅行業店舗売上急落

平成13年12月 廃業を決意。自宅転居(賃貸マンションへ)

平成14年2月 すべてのお客様の旅行出発を確認して廃業。個人保証していた会社の負債は約3億円。

弁護士からは自己破産を勧められるが、長期弁済(360年月賦)の道を選び苦戦開始。

この間、すべての生命保険を解約、こどものジュニアバンクも解約するも資金が足りず、電気、ガス、電話の停止、開通を繰り返す。国民健康保険は分納だ完済。

平成14年5月 リコーリースより区議会議員歳費全額差し押さえ(区議会史上初)

平成14年5月 居酒屋元気村開業。私もお客様も元気になれるよう祈って命名。すべて180円均一のコイン式居酒屋

平成14年7月 イタリアンレストラン「バル・デ・ランパ」経営委譲で仲間と経営

平成15年 「いぬぶしは会社を潰したから絶対に当選しない」との大方の意見のなか、区議会議員再選(自由党4692票当選者中9位)

同年 長男陸上自衛隊入隊(以降、ハイチ、ジプチ、南スーダンに派遣)

この間、区立学校教員らの1時間早退(昼休み相当と言い張る)是正。日教組教員の「名札不着用」事件の糾弾。年収800万円の給食調理員、学童擁護員(緑のおばさん)の民間委託促進。区職員へ毎年6000万円も支払われていた「職場助成費」なる飲み代の廃止。極左教員団体の事務所を区立学校から追い出す。区職労の29分インチキストの追求。等、一貫して職員、教員の綱紀是正に取り組んできた。職員には「職員、教員の天敵」と呼ばれ、ネット上では「お犬様」「狗神」「わん公」などと書かれていた。

平成16年 ヤングジャンプ(集英社)に連載の「国が燃える(本宮ひろし氏)」の歴史描写がおかしい、と集英社に地方議員の仲間と抗議。連載中止に追い込んだ。当時の赤旗社会面では「航空自衛隊予備自衛官・大田区議、言論弾圧」と、お褒め頂いた。

平成17年 株式会社日本自動車流通機構の設立に参画。執行役員

平成19年 日教組や自治労が支援する民主党に合流した小沢一郎氏の変節に同調できず、一人で政治団体自由党を立ち上げ、自由党公認で区議選に出馬。なんとか4選(2880票)

平成19年10月 雑誌「正論」に「拝啓 小沢一郎様 あなたの変身は国民を裏切っていませんか」を寄稿。

平成20年 株式会社日本自動車流通機構代表取締役就任

平成22年 放送大学教養学部卒業(実に入学から25年かかった!)
同年    放送大学大学院文化科学研究科(修士)入学(天川ゼミ)

平成22年 西村真悟前代議士(当時)共に平沼赳夫代議士と夕食。その席で「新党結党」のお誘いを受け、たちあがれ日本に入党。

平成23年3月18日〜 東日本大震災の復興支援に現地へ

平成23年4月 大田区議会議員選挙4選(たちあがれ日本 第3位6363票)

平成23年5月 東京都医療救護班の一員として気仙沼市・陸前高田市にて活動(区議に身分は隠して…)


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01月03日(金)
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