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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■初期化
ひとに譲るため、古いパソコンを初期化した。
6年前、はじめて使ったパソコン。
どうやって初期化するのかと思ったら、ウインドウズにはあらかじめ、初期化するためのプログラムが組み込まれているのだった。
生まれたときから持っていたプログラムに従って、きちんと、正確に、彼は死んでいった。
どう見てもおんなじなんだけど新しくなってしまったパソコンが私の部屋の隅にある。
友達が引き取りに来てくれるまでこのまんまここにある。
なんか落ち着かない。お通夜のような気分。硬くて四角いからか。
違う。

はじめてパソコンを初期化したからだ。

いろんな形のいろんな種類のものをいろんな方法でいろんな状況で失くしてきたけれど、そしてそれはその都度そのレベルに見合うだけ悲しかったりなんでもなかったりしたのだけれど、その中のどれも「こういう感じの」ことではなかった。

悲しいというにはあまりに実害がなさすぎるし、全く気にとめないでやりすごすにはあまりに「甚だしく実害のあるいろんなことに少しだけ」似すぎている。
パソコンにとって、初期化されるというのはいったいどういうレベルの問題なのか?

ひとが死ぬことと似てるような気もするし。
鳩が死ぬことと似てるような気もするし。
記憶をなくすことと似てるような気もするし。
タマネギがしなびることと似てるような気もするし。
国が滅びることと似てるような気もするし。
窓ガラスが割れることと似てるような気もするし。

「世の中から、ひとつの完成した大系が完全に消滅した」
という点では「死」がいちばん近いような気もするけど、それだけでもいろいろある。

自分の死、
恋人の死、
友人の死、
知らない人の死、
飼い犬の死、
飼ってる熱帯魚の死
鉢植えの死、

そもそも、「死」はどうしてたいへんなんだったっけ?
実害はどこにあったんだったっけ?
大脳が壊れること?
人格が壊れること?
身体が壊れること?
生理機能が壊れること?
関係が壊れること?

死の恐怖って、なにより「意識が消失する」ということの恐怖なのだと思う。
絶対に「意識する」ことのできない状況に対する畏怖なのだと思う。
ひとつの世界が、きれいにその世界だけ内側から中心から消し去ってしまうことへの恐怖なのだと思う。
ウインドウズは窓。
わたしはずっとこっちがわからこの窓をのぞき込んでいたけれど、ここは外側だったんだろうか?この奥には内側の世界があって、そこから人知れず外側を眺めている世界の中心があったんだろうか?そこからしか見ることのできない、世界がひとつあったんだろうか?
それを跡形もなく私はなくしてしまったんだろうか?
壊すのですらなく、消してしまったんだろうか?

「初期化する」てそういうこと?
心機一転とかとは違う。
転がらない。消え去るのだ。
それまで確かにあったはずの「何か」を、壊すのではなくなかったことにしてしまうこと。
それは・・・ちょっと・・どうなんだ?
どうなんだ?と言っても何を聞きたいわけでもなくて・・・
なんか・・・落ち着かない。

だんだん、わかってきた。
この、おちつかなさの正体。
わかってきた・・ような気がする。
気がしたらよけいに落ち着かなくなってきた。

どうしよう。なんか、書いてることにも脈略がないし・・・・
私はこれから先、何台のパソコンを初期化するんだろうかと思った。

・・とか・・書いてても目に入る・・・。
故人に思いを馳せようにも馳せかたがわからない。
落ち着かないのはこれがここにあるからか?

・・・・・大西さん、早く取りに来て。
03月23日(土)
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