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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)
「聴力を失って行くというのは、どういうことなのか。皆さん、想像できますか?」
そう問いかける松森果林さんの声は、ご本人には届いていない。
声は出せるけれど、聞こえない。
松森果林さんは、中途失聴者。

講演のはじめに、松森さんは「私の強みは聞こえないこと」と笑顔で言い切った。
でも、今のように、聞こえないことを「個性」として受け止め、「強み」とさえ言えるようになるまでに、長い長い時間がかかったという。
小学4年生のある日突然片方の耳が聞こえなくなり、もう片方の耳も少しずつ聴力を失った。
毎朝、目が覚めると、声を出し、自分のその声が聞こえるかどうか確かめたという。
「昨日まで聞こえていた音が一つずつ消えていく」
聴力を失っていくというのは、そういうことらしい。
高校2年の終わりには、完全に聞こえなくなった。
その日のことを、よく覚えているという。
信じられなくて、何度も、何度も、確かめたのだろう。
小学生の頃、男の子たちに「つんぼ」とからかわれた。
その言葉を知らなかった松森さんは、「つんぼ」の意味を知り、ショックを受けた。
中学生のときには、クラスメイトに名前を呼ばれて気づくかどうかをテストする「遊び」を毎日のようにされた。
聞こえないのは、恥じるべきこと、いけないことなんだ……。
そう思った松森さんは、「聞こえるフリ」をするようになった。
何を言ってるかわからなくても、みんなと一緒に笑う。
聞こえるフリをすればするほど、どんどん自分が空っぽになっていく感じがしたという。
ただでさえ不安定な思春期。
でも、友だちとのおしゃべりや恋愛が楽しい青春の入口。
勉強して、あたらしい世界を吸収する時期。
松森さんは「聞こえるフリ」で忙しかった。
「みんな聞こえなければいい」と周囲をうらんだり、
「自分がいなくなればいい」と思い詰めたりした。
雪の降る日に道端に倒れ込み、このまま死ねたら……と死を待つうちに意識を失い、救急車のランプで我に返った。
その後に、松森さんのお父さんが書いたという手紙に、涙を誘われた。
できることなら代わってあげたい。でも、お父さんだったら乗り越えてみせるぞ。
そんな内容の、愛情と力強さにあふれた手紙だった。
ご家族も辛かっただろうと思う。
原因もわからず、何がいけなかったのかと過去を悔やみ、自分たちを責め、それこそ「代わってやれたら」と苦しんだことだろう。
娘が死を思い詰めていることを知って、打ちのめされたことだろう。
松森さんの知らないところで、たくさん涙を流されていただろう。
お父さんが「乗り越えてみせるぞ」と言えるようになるまでにも、長い長い時間が必要だったのではと想像する。
ちょうど2日前、わたしは実践女子大学で『パコダテ人』の話をしてきた。
映画『パコダテ人』では、ある朝突然しっぽが生えた日野ひかるが、葛藤の末、「しっぽは欠点じゃなくておまけ」と開き直る。いったんアイドルとしてもてはやされたひかるが、今度は迫害される立場になっても、家族は「しっぽが生えても、ひかるはひかる」と、ひかるを愛し抜き、守り抜こうとする。
『パコダテ人』は、障害と偏見について語っている作品だと評価されることも多い。でも、映画だと80分、劇中内時間でも数か月で乗り越えてしまうことが、現実ではその何十倍もの時間を要する。
雪の日に、どん底の底を蹴って、お父さんの手紙に励まされた松森さんは、少しずつ進みはじめた。
「何に困っているかわからないと、何を手伝っていいのかわからない」と学校の先生に気づかされ、授業について行くためにどうしてほしいのかを具体的にお願いするようになった。
視覚や聴覚に障害のある人が学ぶ筑波技術大学を見学し、自分以外の聴覚障害者に初めて会い、生き生きと学ぶ姿を見て「ここで学びたい!」と一念発起。ビリに近かった成績が、猛勉強の末に学年トップになった。
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07月04日(木)
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