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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 違う国に来たようだった大阪と京都
地震から3度目の月曜日がめぐってきた。まだ2週間余りしか経っていないのに、ひと月以上分の出来事や感情を体験した気がする。
2月26日を最後に止まっている日記から1か月。なぜかパソコンから更新できなくなっている。携帯からは今日の分しか書き込めないので、取り急ぎ1か月分をすっ飛ばして日付に追いつくことにする。
3月の17日から一昨日の26日まで東京を離れていた。20日に京都で講演があり、23日に大阪で取材があり、26日に大阪城で開かれる「てっぱん」ファイナルに参加してから東京に戻る予定だった。京都へ行くついでに友人がお手伝いしているゲストハウス仁寿殿に泊まり、わたしとたまは去年のゴールデンウィークぶりに堺の実家に帰省する予定だった。ダンナの両親と妹も誘っての家族旅行のはずだったが、ダンナは仕事になり、わたしとたまは予定より2日早く大阪へ向かった。
保育園は計画停電エリアではなかったものの、その影響を受けて給食の材料や先生の登園が不安定になり、お弁当とお茶とおやつ持参、登園自粛が呼びかけられていた。東京にいても仕事が手につかないし、買い占めや不謹慎狩りの空気にも気疲れしていた。東京を離れるとき、逃げるような後ろめたさを感じたけれど、大阪に着いたら、拍子抜けするほど、何もかもが普通だった。スーパーの棚に水も牛乳もひしめきあっているのを見て、違う国に来たみたいに感じた。行き交う人の表情も屈託なく、明るかった。
地震以来、ぐずることがふえ、再び指吸いがひどくなったたまも、大阪に来て、落ち着きを取り戻したように見えた。けれど、夜になると「パパはどうしてこないの?」「いつとうきょうのおうちにもどるの?」と不安がった。大阪に行くことを楽しみにしていたにも関わらず、出発が早まったこととパパが来ないことに違和感を覚えてしまっていた。
子どもは大人のように状況を把握できていないから、ちょっとしたことが、不安の種になってしまう。被災地で避難所生活している子たちは、その何倍こころもとないことか。
26日のイベントは中止になり、「てっぱん」の最終週放送も一週後にずれたが、講演は予定通り行われ、わたしが大学の4年間を過ごした応援団の諸先輩や後輩、大学関係者の方々に聴いていただいた。「脚本家になるには」という題で、応援団で流した汗と涙がいかに今の仕事に役立っているかを紹介するつもりだったが、地震後の初講演ということで、内容は大きく変わった。
阪神大震災を体験していないわたしにとって、今回の地震は人生最大の揺れで、その後の原発の混乱もあいまって、これから自分がどう生きるべきか、脚本家として何ができるのか、問い続けていることを素直に話した。読売新聞のUSO放送に「足りないもの 伝力」という風刺投稿があり、その「伝力」という言葉にヒントをもらったと言ったとき、一斉にメモを取る手が動くのが壇上から見えた。
東京から来たダンナの両親と妹、大阪から来た父も快く同席させてもらえたのだが、地震以来いっそう甘えたになっていたたまは片時たりともわたしから離れようとせず、離れると泣き出すので、やむを得ず、わたしのそばに置くことになった。たまはワンピースの裾をつかんだり、裾の中に入ってかくれんぼしたり、わたしの靴を脱がせたり、タイムキーパーで壇上に置いた携帯をいじったりといたずらを繰り返していたけれど、参加者の皆さんからは台に隠れて、「一時間もいい子にしていた」と褒められ、「お母さんのしつけがいい」とわたしまで褒められた。
京都を後にしてからは、堺の実家で過ごした。仕事のない日はパソコンに向かわず、たまと遊んだ。実家の最寄り駅にある公園をたまはいたく気に入り、そこへ3回通った。今のわたしにできることは、まず、元気な母であることだった。
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03月28日(月)
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