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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 初めての受賞脚本『昭和七十三年七月三日』執筆メモ
新聞の整理をしていたら、フランスで40万部売れたという『シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』という本の広告に「シンプル主義37カ条」なるものが挙げられていた。「洗面所に香水サンプルのコレクションを置かない」など、どのオキテにも自分がことごとく反していることを痛感させられる。なかでも、

場所を移動しただけで「片付けた」と思わない。

というオキテには、ううむ、まさにわたしの問題点を言い当てていると唸った。

引越なんかしてるヒマないんだから、意味のない不動産サイトめぐりをするよりも、引っ越せる時期が来たときに備えて余計なものを片付けよう。そう思い立って不用品整理に手をつけたものの、「あら、こんな懐かしいものが」と思い出にふけり、「これはとっとかなきゃ」となるの繰り返しで、モノは地層の底から表層に、あるいは引き出しの中から外に、あるいは床から箱の中に移動はするけれど、減っていない。

部屋のあちこちからオリエンテーリングの札のごとくメモが発掘される。バインダー式手帳の中身がばらばらに散らばったもの。日付が入っているページはいつのものだかわかるけれど、無印良品の無地のページのものも多数ある。コピーライター時代のコピー案やネーミング案を書きつけたもの。カンヌ行きの航空券の値段を比較したもの(KLM、大韓航空、ルフトハンザと比べて、エールフランスのパリ経由14万円で決着)。企画の断片のようなものもあるけれど、紙に走り書きしたままではまた散り散りになりそうだし、今見ると、当時の発明は「すでに誰かやっちゃってる」だったり「わたしがプロデューサーでもボツ」というレベルだったり。たとえば、

面識のない働き盛りの男三人がそれぞれの家で同時に発作を起こす。彼らに共通していたのは、発作時に同じテレビの天気予報を見ていたということ。

という話は鈴木光司の『リング』の冒頭に似ている。既視感のあるアイデアでは突破できないので、その先の展開やキャラクターをどれだけ膨らませられるかが鍵なのだけど、メモには三人の男についての簡単なコメントが数行記されているだけ。でも、将来化ける匂いはなきにしもあらずなので、打ち込んでから移動ではなく片付けようと思う。

以下、メモを転載。

K銀行支店長 9時のニュースを一人で見たがる
異常に気づいて妻がかけ寄ると首に手を当て苦しむ。その狂態よりも夫の一言が妻を深く傷つけたことで妻の顔が曇っているのに刑事は気づかなかった。

H電機新製品企画室長 書斎で一人で見ていた
奇声のようなものが聞こえ、呼ばれたと思った娘が入ると床に転がってうめいていた。TVの画面では明日の天気をやっていたと賢そうな娘が言った。

J建設部長 家族で見ていたが何度も「子どもは寝なさい」と言い落ち着かず
ニュースの途中で突然発作をおこす。クラスにてんかんの子がいて似てると無邪気に子どもが言うのを母親がたしなめる

このメモの最後に「市役所への申請 本人確認しない」とあるのは、同じアイデアの延長線上なのか別の話なのかわからない。とっちらかっているわたしの部屋と同じく、一枚のメモに覚え書きとコピー案と企画の思いつきが同居していたりする。

もともとは複数枚にわたっていたと思われる『昭和七十三年七月三日』の脚本執筆メモも、最初の一枚だけ見つかった。月刊シナリオを見よう見まねで脚本を書き、コンクールに応募するようになって二本目、函館山ロープウェイ映画祭シナリオコンクールで準グランプリを射止めた作品。プロットやハコ書きが何であるか、そういうものがあることすら知らなかった時代で、思いつきが思いついた順につらつらと書かれている。脚本にする段階で落としたアイデアもあるけれど、最初に湧いて出たものに自分の書きたいものや自分らしさがいちばん出ると今も思う。

家の事情で引き裂かれた初恋の男女が30年後に会うという設定は物語を思いついたときから揺るがず、二人が約束した再会の日がタイトルになった。


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07月24日(土)
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