ID:93827
脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
[786556hit]

■ 1962年の広告ウーマン『その場所に女ありて』
映画と鉄道を愛するご近所仲間のT氏から「神保町シアターで成瀬巳喜男特集がありますから、ぜひ」と熱い推薦状と資料が届いた数日後、今度は「京橋のフィルムセンターで広告業界を描いた映画の上映があります」とメールが届いた。1962年の東宝作品『その場所に女ありて』(鈴木英夫監督)と1958年の大映作品『巨人と玩具』(増村保造監督)。「どちらも当時の俊才監督の手によるものです。この監督達の名前は知っていて損はありません。広告業界の人が見たら、これはどうしょうもなく全く違う世界なんでしょうけれど、もう半世紀近い昔の日本のこととして見れば、これはこれで面白いと思います」とのことで、まずは『その場所に女ありて』を観た。

最初はバカでかいタイプライターやそれを扱う「幹事長」と呼ばれる女社員の男言葉や事務所のような座席配置といった違和感に気を取られてしまったが、司葉子が演じるコピーライター上がりの営業職のヒロイン律子に乗っかって観始めると、律子が広告代理店のコピーライターだった頃の自分や同僚の姿に重なり、いつしか時代の違いよりも「昔も今も同じ」という想いが勝っていた。

「数字を上げたい」得意先と「表現」にこだわる代理店との攻防、競合他社とのコンペでの仕事争奪戦、その戦い方をめぐる社内での駆け引き……自分が体験した出来事と重ね合わせ、緊張感や焦燥感が生むサスペンスに引き込まれ、はらはら、どきどき、きりきりと大忙しの鑑賞となった。(以下、ネタバレがあるので、8/26(水)7:00pm〜の回を観る予定の方はご注意を)

広告表現は進化しても人間は進歩していないのだなと感じさせるエピソードがいくつか。たとえば、キャッチコピーが決まらないアートディレクターの倉井(なんと山崎努!)に相談され、律子が即興で答えたコピーが採用となり、その広告が賞を取る(今で言うADC賞のようなものだろうか)が、ゴーストライターである律子の名前は当然クレジットされず、アートディレクターは自分一人の手柄にし、受賞を手土産に転職を決めるというエピソード。実力がないゆえ先行きに不安を感じ、アルバイトでコピーを書いてくれと律子に頼む情けなさが、とてもリアルだった。クレジットから名前を外された誰かがくさるとか、自分の仕事を大きく見せて引き抜かれたものの後が続かないとか、そういう話はゴロゴロしていたが、それをやってしまうクリエイターにも「自分を売れるうちに高く売りたい」という野望や将来の不安がある。映画ではその部分も実に説得力ある台詞で描いていた。

もうひとつ、広告キャンペーンのコンペでの競合代理店が取った「相手の代理店に抜け駆けでアイデアを出させる」というずるい手も、決して映画のために誇張されたエピソードではなく、アルバイト感覚で他社のプレゼンを手伝うという話はけっこうある。そういうアイデアがコンペを勝ち抜いて世に出てしまって、コマフォトや宣伝会議に載ったりTCC賞やADC賞を取ったりしたら、クレジットはどうなるんだろう、などと余計な心配をしてしまう。

仕事でも麻雀でも男と互角に渡り合える律子は、よりによって製薬会社のコンペを競う競合代理店の担当営業の坂井(なんと宝田明!)と恋に落ちて一夜を共にする。だが、坂井は律子の会社のチーフデザイナーにコンペ用のアイデアを出させていた。最終コンペに勝ち残った両社のレイアウトを見せられたときに、律子はチーフクリエイターの裏切りを見抜くと同時に坂井が勝つために卑怯な手を使ったことを知ってしまう。

律子に問いつめられたチーフクリエイターは辞表を出すと約束するが、それを会社ではなく「私に出してね」と言う律子が何ともカッコ良く、惚れ惚れした。人を責めるのではなく、失敗を悔いるのでもなく、立ち止まらずに前へ進み続ける。広告の人間はこうでなくちゃ、時代に置いて行かれる。


[5]続きを読む

07月09日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る