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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)
松森さんは、コンセントが抜けているのに掃除機をかけ続けてしまうことがあるらしい。
音カタログ
のサイトでは、「聞こえない世界」と「聞こえる世界」の違いを「音なしの絵」と「音ありの絵」で見比べられる。
音がなくて「困る」「使いにくい」というときも、松森さんは「こうすれば使える」「こうなれば誰でも使いやすい」と提案に転換する。
音のかわりに「わさびのにおい」で危険を知らせる警報器の開発にも関わられたそう。
また、松森さんも関わったという羽田空港の国際線ターミナルは、「設計段階から障害者や外国人などが意見を出し合い、設計に取り入れた」そうで、ユニバーサルデザインの宝庫とのこと。
子育てのお話も披露された。
ご主人と息子さんの三人家族の中で、聞こえないのは松森さんだけ。
息子さんには赤ちゃんの頃から手話でたくさん話しかけた。
最初に覚えた手話は「いっしょ」だったそう。
「赤ちゃんって一度覚えたら忘れないんですよね」
うちの娘のたまがまだ言葉が拙かった頃にベビーサインの本を読み、「ちょうちょ」「ほん」「たべる」などを使って簡単な会話を試みたことがあった。
ベビーサインが役に立ったのは、たまがカタコトを話すようになるまでのほんの数か月だったけれど、「伝えたい」という気持ちをのせる乗り物があったことで、「伝えあう」喜びを分かち合うことができた。
ベビーサインも手話も外国語も、「伝えたい」「つながりたい」相手がいてこそ出番がある。
松森さんの息子さんは、ママと呼んでも振り向かないことを学ぶと、床をたたいてママを呼ぶようになったという。
同じマンションの人たちが「手話で話したい」と言ってくれて始まった「井戸端手話の会」の話もとても興味深かった。
聞こえない人にとって、井戸端会議で何を言っているのかわからない、加われないのは、不安でもありストレスでもあると思う。じゃあ井戸端会議を手話でやりましょうという発想が楽しい。
「コミュニケーションをあきらめるのではなく、コミュニケーションを楽しめる環境を作っていけばいい」と松森さん。
迷惑、と思うのか?
協力、と思うのか?
当然、と思うのか?
同じことでも、受け止め方は、人それぞれ。
楽しい、とお互いが思える関係を作れると、いいなと思う。
生活で不便を感じるのは「障害のせい」なのか「聞こえない自分が悪い」のか。
「健康で元気な普通の人を基準に町づくりがされてきた」からではないでしょうかと松森さん。
「でも、普通って何でしょう?」
松森さんにとっては「聞こえないのが普通」。
そして「聞こえる耳を持っていても、話を聞かない人っていますよね」と笑う。
たしかに、何不自由なく生活できることが「普通」だとしても、それがずっと「その人の普通」であるとは言い切れない。
少なくとも、赤ちゃんのうちは、一人で電車に乗ることも買い物することもできない。
子どもを持った親は、少なからず「バリア」を体験する。
今まで当たり前にできていたことが、こんなに大変で、こんなに人に迷惑をかけてしまうことなのかと。
ときには心ない言葉をかけられ、外出するのが怖くなったりする。
年を取ってからも、同じことが起こるのかもしれない。
レジでまごついてしまうお年寄りを待てない人だって、それがいつか自分の普通になるかもしれない。
「どんな普通にも対応できる」こと。
それがユニバーサルデザインなのかなと思う。
「普通」は、人それぞれ。
その、「それぞれの普通」に想像力を働かせられるユニバーサルな人でありたい、と思った。
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07月04日(木)
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