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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 模擬裁判員裁判の4時間で得たものとは
これに対して「それでは短すぎる」という声が相次いだ。
被害者の命の重さ、母を奪われた兄の気持ちを考えると、求刑通り5年でいいのでは?
でも、すでに十分反省している被告人にとって、それは長過ぎるのでは?

刑務労働の作業報奨金がひと月4000円ちょっとぐらい出ると聞いて、「それが年金ひと月分、約15万円たまったら出るというのは?」というユニークな計算をしたのは高校生。
でも、何年がかりでためたのと同額を年金であっさり受け取れてしまうと、刑務労働が空しく思えてしまうかもしれないから、報奨金を刑期の根拠にはしないほうがいいのでは、となる。

では、5年の半分で、2年6か月はどうでしょう、とわたし。
被告人の母が痴呆を発症したのが2〜3年前。
被告人が痴呆の母の面倒を見ていた時間を、刑の長さとすることで、被告人にも、被告人の兄にも、被告人が背負ったものに想いを馳せて欲しい。そんなメッセージをこめられないか、と。

こうしてBチームの判決は「実刑2年6か月」となった。

Bチームは「この判決に3方向のメッセージを込めたいと思います」と、社会に向けて「同じ事件が起こらないようにする努力」を促し、被告人には刑務所で再出発の準備をと訴え、被告人の兄には被告人が刑期を終えたら一緒にお母さんのお墓参りをと呼びかけた。

もうひとつのAチームは懲役3年、執行猶予3年。再犯の可能性が低く、反省もしており、実刑を科す意味は低いという理由で、堂々とした判決文だった。

「人が変われば、裁判が変わる」と今井弁護士。
評議するメンバーが変われば、実刑か執行猶予つきかが分かれてしまう。
結果は違うけれど、両チームとも、被告人がこれからどう生きていくのかに思いを馳せ、期待を託して導いた判決。

人との関わりを避ける被告人の人生を、家族以上に親身になって考え、悩んだ人たちがいる。
その事実が、被告人の更正の後押しにならないだろうか。
なってほしい、と願う。
なるにちがいない、と思うのは性善説すぎるだろうか。

並べて比べるのは無理があるのは承知の上で、自分がシナリオコンクールに応募していた頃のことを重ねた。
賞が取れるかどうかで、デビューできるかどうかが決まる。人生が懸かっている。
もちろん賞を取りたい。結果は大事。
でも、それと同じくらい、自分の作品がどのように審査されたかに一喜一憂した。
隅々まで読んで、何度も読み返して、この人は書き続けられる人だろうかと想像し、書き続けてほしいという願いを込めて賞を贈ってくれたんだな、と感じられるのは、賞状よりも賞金よりもうれしかった。
賞を逃しても、わたしの作品から何かを受け取ってくれた審査員の方の言葉や励ましは、やはり賞状や賞金よりも光っていた。

判決という結果を導くまでに、どんな議論があったか、それは直接被告人に伝わらなくても判決からにじむものかもしれないし、その議論そのものを知る機会があれば、判決以上に被告人の胸に響くことがあるかもしれない。そんなことも思った。

最後に、参加者が一人ずつ感想を述べ、出演者の皆さんが紹介された。
自分のワークショップでもそうだけど、感想を分かち合う時間を持つことで、数時間の体験がぎゅっと凝縮される。味をまとめる仕上げの調味料のような役割を担っていて、この時間があるかどうかで後味が大違いだと思う。

今日はとくに、若い皆さんがどんな思いで模擬裁判に臨んだか、何を得たかを聞けて、一人一人が持ち帰ったものの大きさと意味を受け止めて、すごくいい話を聞かせてもらったなとうれしくなった。

判決とは被告人だけでなく、その家族や社会へのメッセージなのだ。
罪を犯した人の抱えているものや、そのまわりにあるものに想いを馳せて、自分だったら……と想像して、その人のために、そのまわりの人のために、そして社会のために、これからどんな未来が続けばいいのかを考え抜いて、その未来へ歩みだす道すじを示すことなのだ。
裁判員に関する本や資料もずいぶん読んだけれど、この実感は、模擬裁判を体験した4時間があって得られたものだと思う。


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09月13日(土)
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