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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 堺市立「泉ヶ丘図書館」あらため「南図書館」講演
図書館での講演ということで、娘のたまが図書館で借りたCDの歌詞カードに落書きしてしまった事件(>>>2013年03月11日(月) としょかんのだってこと、わすれてたの(完結編))のことも話した。「起きてしまった物語は変えられない。でも、物語の続きはあなたの手の中にある」(朝ドラ「つばさ」玉木加乃子)「人生、失敗したもん勝ち」(朝ドラ「てっぱん」松下小夜子)といった台詞にあるように、起きてしまったこと(失敗)から何かを得て、次につなげて、進んで行くしかない。ここでも「なんで?」と「そんで?」が合言葉。
質疑応答では、「これまでに住んだ大阪と京都と東京の違いは?」「脚本の元のアイデアを提供した原案者の位置づけは?」「脚本家出身で面白い時代小説を書く人がいるが、時代小説は書かないのですか?」「経営する会社あてのクレームに、どう応じればいいか」「親しくしていた人に避けられている。どうすればいいか」といった回答反射神経を試される質問ぞろいで、後半は人生相談のようになった。悩みを打ち明けるほど、聴いてくださった方々の「心の傘」が開いたのなら、とてもうれしい。
サイン会で、一番後ろに並ばれていた方が「3つお礼を言わせてください」とおっしゃった。
ひとつ目は、「わたしも電車の中でキョロキョロ他人を観察してしまうんですけど、それがいいことなんだって、気づかせてくださり、ありがとうございます」。
二つ目は、「わたしの娘が三原台中学校であなたの後輩にあたります。娘は三年生のときに、卒業式を前にして病気で亡くなりました。娘の名前は忘れてしまっても、娘のことが、何かの形で人の心に残っているのかもしれない、と思わせてくださり、ありがとうございます」。
三つめは、「その亡くなった娘が交流していた人形劇団の方が今日見えていて、ひさしぶりに再会できました。その機会をありがとうございます」。
講演の中で、「中学一年のときに同級生を亡くしたときの心の揺れを綴った日記を読んで、こんなことがあったのか、と思い出したけれど、すっかり忘れていた。けれど、あのとき、同級生の死をきっかけに、はるか未来に思える死を自分の問題として考えたり、友だち同士で話したりしたことが、その後、生死について書くときの根っこになっていると思う」と話したのだが、その話をご自身の娘さんと重ねて、聴いてくださったのだった。
「握手させてください」と力強く手を握られ、その余韻とともに、東京へ戻った。
頭のビデオカメラを回して、脳味噌の出張所(=外付けハードディスク)の日記やブログに綴ったり人に話したりしても、記憶は薄れ、消え行く。それでも「なんで?」「そんで?」と想いを巡らせた分だけ、心に根っこを張れる。その根っこは、ネタとネタをつなげるだけでなく、わたしと誰かの人生をつなげてもくれる。
講演という石ころは、聴いてくれる人がいてこそ、磨かれ、光る。今日の講演で何を聴いたかは忘れられてしまっても、心の片隅を照らす仄かな光を残せたら、と思う。
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04月21日(日)
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